デスイーター・ユーレムの死骸を、押しのけるようにして。
地中から、現れる。
デスイーター・ユーレム。
黒焦げになっているほうが子だとすれば、親。
それほど、二匹の体格には差があった。
「……最悪だ……」
もう一匹、いたのだ。
先ほどのデスイーター・ユーレムの、三倍はある大きさの、デスイーター・ユーレムが。
太く、長い腕も、尋常ではなかった。
まるで、大木のような存在だった。
「……悪い、サダコ……もう魔力が……」
疲労、そして諦念。
フサギコは、もはや立つことさえ叶わなくなっていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい……! 私たちのせいで、フサギコさんまで……!」
涙交じりにフサギコに駆け寄るサダコ。
フサギコはもはや、言葉を返す気力さえ持てない。
目の前に二人の人間がいると知れば、間違いなくデスイーター・ユーレムはそれぞれを喰らう。
もはや、逃げることさえ叶わないだろう。
フサギコは、全てを悟ってしまっていた。
打つ手は、ないのだ。
何ひとつとして。
辛うじて顔を上げて、デスイーター・ユーレムを確認するフサギコ。
まだ、距離はある。地中から出てきたばかりで、動きも鈍い。
だが、いずれは確実に喰われる。
この巨体だ、はたして二人で済むだろうか。
せめて犠牲者は少なく。フサギコがそう思っても、抗うことはできない。
しかし、フサギコは見てしまった。
デスイーター・ユーレムの、遥か後方ではあるが、居たのだ。
酒場の店主が、慄いた表情で、戦いを見ていた。
「バカヤロッ……!」
「お父さん!!」
デスイーター・ユーレムに気づかれでもしたら、間違いなく喰われる。
早く、身を隠せ。フサギコは叫びたかったが、声を上げればそれこそ気付かれてしまう。
デスイーター・ユーレムが、すぐ地中に戻ることを願うしかないのだ。
固く握りしめた拳を地面に叩きつけて、フサギコは自分の無力さを呪った。
よくよく考えてみれば、最初のデスイーター・ユーレム程度の相手であれば、絶対に討てない相手ではない。
過去に依頼されたワンダーの、いずれかが討ち果たしていただろう。
だが、こいつが相手では、話は別だ。
人を多く喰らったせいか、その巨体はフサギコの想像を軽く凌駕していた。
例えスリースターズとマグマ・ドールの両方が使えた状態でも、倒せなかっただろう。
このデスイーター・ユーレムを倒せる可能性があるとすれば、フサギコのカードのなかでは――――
「……!!」
そうだ、何故だ。
何故、分かったのだ。
「サダコ!!」
「は、はい!?」
一瞬、デスイーター・ユーレムに対する恐怖さえ忘れたような、素っ頓狂な声をサダコは上げた。
「お前、見えるのか!?」
「な、何がですか!?」
「あのオッサンだ! 酒場の店主!」
酒場の店主が父親だったこともフサギコにとっては驚きだったが、それ以上に。
数百メートルは離れている相手を、はっきりと視認できていることが衝撃だった。
「は、はい……見えます、けど……」
そうか、そういうことか。
最初、酒場でシッターのことを聞いたとき、店主は何故かシスターのことを口にした。
サダコのことを、だ。
それに加えて、店主は一般人よりもワンダーやシッターについて詳しかった。
フサギコは当時、何とも思わず受け止めていたが、恐らくあれは、店主自身が昔そうだったからだ。
ワンダー崩れがいる、とも自分で言っていた。
親が千里眼を持つ人間なら、子も千里眼を受け継ぐ可能性は高い。
フサギコ自身が、そうであったように。
何より、あれほど離れた位置からこの戦いを見ることができている。
それこそが、店主が千里眼を持つことの証明。
そして、その姿を見ることができた、サダコも――――
「千里眼だ! サダコ! お前には千里眼がある!」
「え、え、え!?」
「どうせなら……!!」
賭けるしかない、とフサギコは思った。
デスイーター・ユーレムも、徐々にその巨体を眠りから覚ましかけているのだ。
「千里眼……!? わ、私が……!? じゃあ……!!」
「もしかしたら、デスイーター・ユーレムを倒せるかも知れねぇ!」
即座にフサギコはフォルダーからカードを取り出した。
二枚。【Lv.2 シャイニング・レイ】、【Lv.1 カレンデュラ】。
カレンデュラは、魔法の効果を長く持続させる力を持つ。
そしてシャイニング・レイは、周囲を強い光で照らしだす魔法。
デスイーター・ユーレムは、暗い地中に潜り続けているモンスター。
出現も、必ず決まって陽が落ちたあとだ。
ならば、光には弱い。
眼をやられ、全身の肌は光の熱量で焦げ付き、絶命するだろう。
それを、フサギコは確信していた。
「この二枚を……ッ!!」
そう、言いかけたところで、フサギコは絶句した。
あることに、気づいてしまった。
普通、ワンダーもシッターも、カードを使い始めたばかりの頃は、使用魔力の低いカードから慣れていく。
理論的には、自己魔力の上限に収まっていればカードを使えるが、ハイレベルカードは衝撃が強い。
カードを使い慣れていないものには、耐えられない可能性があった。
シャイニング・レイも、カレンデュラも、使えるはずだ。
ただし、上限にはかなり近い。
衝撃に耐えきれなかった場合、待ちうけるのは、死。
フサギコは、声に出せなかった。
この二枚を、使ってほしいと。
サダコを助けるための戦いで、サダコが犠牲になる。
それでは、フサギコにとって何の意味もないのだ。
しかし、他に手がないことも事実。
唇が震え、声を出せないでいるフサギコ。
そして、その手から――――
サダコは、カードを抜き取った。
「このカードを、使えばいいんですよね」
「違ッ……!」
何も違わない。
そうする以外に、道はないのだ。
分かっているのに、フサギコは、踏み出せなかった。
そのフサギコを見て、サダコは優しく笑う。
「分かります、何となく。多分、このカードを使うと、私は死ぬんだってこと」
「……違う……絶対じゃない、が……」
「安心しました。死なずに済む可能性も、あるんですね」
しまった、とフサギコは心のなかで呟いた。
絶対に死ぬ、と言ってサダコを止めるべきだった。
止めたところで、どうしようもない。
本当は、サダコに頼るしかないと、分かっていながら。
「……すまん……頼む……」
「どうすれば、いいのでしょうか」
「……俺に触れながら、パッケージとカード名称を唱えてくれ……それだけでいい……。
先にカレンデュラ、それからシャイニング・レイだ……」
「分かりました」
決然としている、サダコ。
悄然としている、フサギコ。
死に立ち向かおうとしている者が、どちらか分からなくなるような。
そんな光景だった。
人など容易く握り潰してしまえそうな、大きな腕の先にある手。
そこから伸びる爪は、どれほど丹念に研がれた刃物よりも、鋭い切れ味を持っている。
デスイーター・ユーレムの目は、確かにサダコとフサギコを捉えていた。
「いきます」
デスイーター・ユーレムの両手が、天高く掲げられる。
月の微弱な光さえ、覆い隠すように。
そして、振り下ろされる。
その直下では、サダコの冷静な声が発されていた。
「Eternal/Mix/Continuance/Point 【Lv.1 カレンデュラ】」
サダコを中心に広がる、光の輪。
デスイーター・ユーレムの腕は、一瞬降下を鈍らせた。
カレンデュラ、発動。
そして――――
「Eternal/Complex/Shine/Scope」
神が、この世にいるはずはない。
そんなものがいれば、そもそもサダコはこんな目にすら遭っていないはずだ。
フサギコは、分かっていた。
だが、それでも、祈るように、固く眼を閉じた。
「Lv.2」
徐々に、光が拡散していく。
デスイーター・ユーレムの腕が、サダコに迫る最中で。
それでも、サダコは、最後まで冷静だった。
「シャイニング・レイ」
――――三ヶ月後。
フサギコは、フィストラトスの頂上に立っていた。
「さすがだな……世界百景に選ばれるだけはある……」
頂上の土を踏みしめ、景観を眺望した。
心に湧きあがってくる感情を、じっと抑えながら。
「……こういう光景を……本当は、一緒に見たかったんだけどな……」
寂しげな呟きは、風に混じっていく。
鞄をどさりと降ろした。
中から、一本のナイフを取り出したあとに。
そして、フサギコは空いたほうの手を伸ばす。
「よう、怖かったか」
「すっごく怖かった、です……もう、目を開けても大丈夫ですか……?」
「まだだ、もうちょっと待て、サダコ」
サダコの手を掴んで、体を引き寄せるフサギコ。
固い地面へと導いた。
ノックアップを使い、二人はやってきたのだ。
世界百景のうちのひとつに選ばれる、フィストラトスの頂上へと。
浮かんでいる途中、サダコは恐怖から目を閉じていた。
フサギコが、そうしていろと言ったからだ。
そして頂上についてもまだ、フサギコは瞼を閉じさせていた。
「ま、まだですか……?」
「ちょっと待てって」
体を縮こまらせているサダコの、黒い髪をフサギコは優しく掴んだ。
サダコは驚いて、更に固く瞼を閉じさせる。
前髪は、顎を越えている。
後髪は、腰を越えている。
それぞれ、フサギコは手にしたナイフで、切り落とした。
「え、あれ……? 髪を……?」
「もったいないぜ、髪で視界なんか塞いでたら」
切り落とされた髪は風に飛ばされていく。
そして、フサギコは微笑んだ。
「開けていいぞ」
サダコの視界に、光が入りこむ。
徐々に広がっていく。
その光の、先には――――
「……凄い……!!」
眼下の樹海さえ、指の間に収まるほどちっぽけな存在。
カシアスの町も、まるでミニチュア。
そして、その向こうに広がる、海原。
どこまでも、どこまでも続いている世界。
海上には島々が浮かんでいた。
ちょうど、百八つ。
それら全てを見渡せるのは、フィストラトスの頂上の他にはない。
島々は独自の色を持っている。
土の色、あるいは木々の色。
それぞれ、島ひとつひとつが固有の色を持しているのだ。
海の星、と呼ばれていた。
「世界で唯一、昼間でも星がキレイに見えるんだ、ここは」
「知ってます……ずっと、ずっと見たかったんです……」
涙ぐみながら、サダコは世界を見渡していた。
滲んだ視界でも、はっきりと海の星は見える。
強い輝きを発しているかのように。
「占術屋に来る旅の方が、仰ってたんです……海の星は、一度は見る価値がある、って……。
フィストラトスに昇ることは難しいけれど、見て損はないって……」
「そうだな、まともに昇ろうとすると厳しい。道中にBカテゴリー以上のモンスターがわんさかいる。
かといって、ノックアップを用意するのも難しいんだ、ホントは。
俺はこのために頑張って作ったけどな」
「そうなんですか……? 何故、フサギコさんは、ここに……?」
「世界百景を、制覇したいんだ、俺は」
フサギコは、その場に腰を降ろした。
サダコも寄り添うような位置で膝を折る。
気圧の変化から身を守るため、フサギコが【Lv.2 シェル】を発動させている。
サダコは、フサギコの側から離れられない。
「旅の目的、ってのがそこにあるんだけどな」
「何故、世界百景を……?」
フサギコは、懐かしむような表情のまま、笑った。
「俺の親父はワンダーで、魔法を使って色んなとこに連れてってくれたんだ。
ユゼルト峡谷とか、ティーセパン河川とか……ビオル雪原も行ったなぁ。
俺は、自然と色んな景色を見るのが好きになってた。
そのなかでも特に凄かったのが、レグリオル山脈の、クワイレル山だ。
標高13302メートルの、世界最高峰。
魔法を持たない人間じゃあ、とても辿りつけない境地。
雲海さえ遥かに遠いそこは、完全に別世界だった。
言葉にできなかったよ、ホントに。
白い絵の具をぶちまけたみたいな、一面真っ白な世界で……」
輝かしい表情のまま、その景色を口で懸命に表現しようとするフサギコ。
サダコはずっと笑顔で、フサギコを見つめていた。
「クワイレル山に連れてってくれた、二年後に親父はSSカテゴリーのモンスターにやられた。
もちろん、覚悟してたことだが、やっぱり辛かったな、あれは……。
いつも俺と兄貴を楽しませてくれた、親父が大好きだったし、尊敬してたから……」
「お兄さんも、いらっしゃるのですか?」
「ん? あぁ。尊敬する親父に追い付こう、って二人で約束して、ワンダーになった。
二人とも千里眼を持ってたのは分かってたからな。
いつか、もっと色んな景色を見て、クワイレル山にも行こうって話してて……。
……でも、ずっと一緒に旅してた兄貴も、SSカテゴリーのモンスターに勝てず、やられちまったんだ。
俺よりずっとずっと、強かった兄貴だけど、夢は果たせなかった。
どっちも、モンスターにやられて困ってた町を助けようとしてたんだ。親父も兄貴も、優しかったから。
俺は、夢と約束を果たしたかった。
だから、今までほとんど、モンスター討伐はやってこなかったよ。
そういう噂を聞いた町は、ことごとく避けてきた」
「……では、何故……何故、私たちを助けてくれたのですか?」
「やっぱし、目の前で困ってるのを見ると、ほっとけないもんだな、ってさ。
親父と兄貴の血は、俺にも流れてんだなぁって思ったよ。
普段なら絶対、Sカテゴリーのモンスターなんて相手にしねぇのに」
「ありがとうございます、本当に。みんな、本当に感謝しています」
「やめてくれ。礼を言われるのは苦手なんだ、面映ゆくて」
「足りないくらいです、全然」
「結局は、お前の力だ、サダコ。
お前が限界まで魔力を絞り切って、シャイニング・レイを完璧に発動させたから」
「私は、よく覚えていないのですけれど……充分でしたか?」
「充分すぎるくらいだ。多分、光属性の魔法が合ってるんだろうな。
他のシッターじゃ、シャイニング・レイとカレンデュラのコンボでも、デスイーター・ユーレムを倒せたかどうか」
「そうなんですか?」
「まぁな」
状況が揃っていた、ということもある、とフサギコは思っていた。
カシアスの町を襲っていたデスイーター・ユーレムは、20年間、人を喰らいつづけた。
その多くは、捧げられた生贄を喰らうだけであり、地上にいる時間はほとんどなかったはずなのだ。
微弱な月や星の光さえ、受けることはない。
光への耐性は、いっそう弱まっていたはずだ。
そこへ、強力なシャイニング・レイを受けた。
まともな戦いも、長年遠ざかっていた。
加齢もあっただろう。デスイーター・ユーレムの身体は、相当に脆弱化していたのかも知れない。
勝てたのは、運が良かったからだ。
フサギコはそういう結論に達していた。
ただ、サダコの魔力が、シャイニング・レイとカレンデュラに耐えきれたことは、フサギコにとって予想外だった。
話を聞けば、やはり酒場の店主は元ワンダーだったのだ。
名前に聞き覚えはなかったが、かつてはカテゴリーAのモンスターを倒したこともあるらしい。
デスイーター・ユーレムには、16年前に立ち向かったと口にした。
そのときの戦いで、サダコの母であるシッターを失った、とも。
戦いに興奮したことで、デスイーター・ユーレムは町の人間を数人喰らった。
その責任を感じて、酒場の店主は、娘のサダコを生贄に捧げようとしていたのだ。
フサギコにとっては、度し難い理由だった。
無論、叱責しようとはした。
それを止めたのは、他ならぬサダコだった。
理由の全てを知っても、サダコは父親を庇ったのだ。
誰よりも辛い思いをしたのは、きっとお父さんだから、と。
フサギコは、納得いかなかったが、サダコに止められては何も言えなかった。
「では、これからは」
「ん?」
「これからは、また、違う場所へと向かうのですか?」
フサギコの真横に座っているサダコは、膝を抱えている。
その膝に、頭をつけながら、しかし顔はフサギコのほうを向けていた。
髪を短くしてからのサダコは、まるで別人のようだ、とフサギコは感じていた。
「そーいや、酒場の店主の嫁さん、写真見たけど美人だったもんなぁ……」
「……は、はい?」
「独り言だ、気にすんな。俺は次の景色を求めにいくよ。
次は、そうだな。リルレグ高原かな」
今まで、誰かに行き先を告げたことなど、フサギコには経験がなかった。
しかし、サダコ相手には、自然と口から出てきた。
旅の理由にしても、そうだ。
誰かに話すことを、今まで頑なに拒んできた。
軽い意地があり、誰かに話すことが気恥かしく思えていたためだ。
だが、何故サダコには。
フサギコは、分からないふりをしていた。
「……でしたら……」
横向けていた顔を、膝に埋めさせるサダコ。
しかし、次の言葉はなかなか発さない。
それを見て、フサギコは助け舟を出した。
「一緒に来るか? サダコ」
弾けるように、サダコは顔を上げた。
「俺は滅多にモンスター討伐なんてやんねぇから、年がら年中ひもじい思いしてんだ。
つまり貧乏ワンダーで、とても専属シッターを雇う余裕なんてなかった。
だから、もし俺についてきてくれるとしても、報酬なんて全く出せねぇけど……」
それでも、良ければ。
そう言いきる前に、サダコはフサギコの手を掴んでいた。
「行きます! 私も、世界中を旅してみたいです!
今までずっと、何も見てこれなかったから……!」
「そうだよな、まだ何にも知らないんだもんな。
世界にはもっと、もっと凄いとこがいっぱいあるんだぜ」
「フサギコさんと、一緒に見たいです!」
「決まりだな」
フサギコは、フォルダーからカードを10枚ほど取り出した。
それらは全て、シッター専用のカードだ。
「お前に渡しとくよ、これは。珍しいカードがけっこうあるが、特にシャイニング・レイは貴重だから、大切にしてくれよ」
「は、はい!」
「で、当面の目標についてだが」
シッター専用のカードと同時に、取り出したカード。
名称、ワープスター。
「【Lv.1 ワープスター】。こいつはまだ、目に見える範囲にしか移動できない。
これがLv.3になると、地名を告げるだけでそこに移動してくれる。
つまり、世界最高峰のクワイレル山の頂上にもひとっ飛びってわけだ」
サダコは、目を輝かせながらフサギコの言葉を聞いていた。
「今後は、これをLv.3にすることを目標にしていく。
ただ、簡単じゃないぞ。カードのレベルアップは、カードを合成することで果たせるんだが……。
Lv.2にするだけでも、素材に必要なのが、マグネットのLv.2とか、ウイング・カッターのLv.3とか、レムナントのLv.2とか……」
「なんか、大変そうですね……」
「だからクワイレル山の制覇者は数少ない。困難極まる道だ、ホントに。
素材のカードを集めるためには、こういう危険な場所に来る必要もあるし、そればっかだからカネはねぇし……。
どうする、ついてくるのはやめとくか?」
「意地悪な質問ですね、答えなんて分かってるくせに」
サダコは、やはり笑顔が似合う女だ。
フサギコは改めてそう思った。
そして、今さらながら、危険を顧みず人を助けにいった父親や兄の気持ちが、分かった気がしていたのだ。
「よし、じゃあそろそろ下りるか。シェルの効果も切れてきそうだし」
「あ、はい。今度は何のカードを使うんですか?」
「え?」
何のカードを使うか。
登りは、ノックアップで浮いてきた。では、下りは。
「……あ……」
「え、え?」
「……考えてなかった……」
「ええええぇぇぇぇ!?」
右往左往するフサギコ、サダコ。
そこはフィストラトス、標高5000メートル近い山。
「なんていうか……俺って、後先考えないとこが、あってだな……。
実はデスイーター・ユーレムと戦う前にも、勘違いで最強カード使っちまって……。
そのせいで、あんとき魔力が……」
「ど、どうするんですか!?」
「どうしよう……やっぱ俺についてくるのは止めとくか……?」
「や、やめませんけど……」
「……まぁ、俺についてくるんだったら、こんくらいのことには慣れてもらわないとな、うん。
よーし、なんとかして頑張って下りよう!」
「な、なんとかなります!?」
「多分な!」
フサギコは、笑顔で右手を差し出した。
サダコは、少し呆れ気味の顔で、しかし口元を緩ませながら、フサギコの右手を握り締める。
「行くぞ!」
「は、はい!」
二人の真上に広がる蒼穹は、僅かな断雲さえ浮かんでいない。
果てしない大海原と交じりあって、境界線さえどこにも見当たらない風景。
それを背後に、二人は、勢いよく駆け出して行った。
屈託のない、笑顔のままで。
【その眼に映る、行方知れずの天壌無窮】
~The End~
地中から、現れる。
デスイーター・ユーレム。
黒焦げになっているほうが子だとすれば、親。
それほど、二匹の体格には差があった。
「……最悪だ……」
もう一匹、いたのだ。
先ほどのデスイーター・ユーレムの、三倍はある大きさの、デスイーター・ユーレムが。
太く、長い腕も、尋常ではなかった。
まるで、大木のような存在だった。
「……悪い、サダコ……もう魔力が……」
疲労、そして諦念。
フサギコは、もはや立つことさえ叶わなくなっていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい……! 私たちのせいで、フサギコさんまで……!」
涙交じりにフサギコに駆け寄るサダコ。
フサギコはもはや、言葉を返す気力さえ持てない。
目の前に二人の人間がいると知れば、間違いなくデスイーター・ユーレムはそれぞれを喰らう。
もはや、逃げることさえ叶わないだろう。
フサギコは、全てを悟ってしまっていた。
打つ手は、ないのだ。
何ひとつとして。
辛うじて顔を上げて、デスイーター・ユーレムを確認するフサギコ。
まだ、距離はある。地中から出てきたばかりで、動きも鈍い。
だが、いずれは確実に喰われる。
この巨体だ、はたして二人で済むだろうか。
せめて犠牲者は少なく。フサギコがそう思っても、抗うことはできない。
しかし、フサギコは見てしまった。
デスイーター・ユーレムの、遥か後方ではあるが、居たのだ。
酒場の店主が、慄いた表情で、戦いを見ていた。
「バカヤロッ……!」
「お父さん!!」
デスイーター・ユーレムに気づかれでもしたら、間違いなく喰われる。
早く、身を隠せ。フサギコは叫びたかったが、声を上げればそれこそ気付かれてしまう。
デスイーター・ユーレムが、すぐ地中に戻ることを願うしかないのだ。
固く握りしめた拳を地面に叩きつけて、フサギコは自分の無力さを呪った。
よくよく考えてみれば、最初のデスイーター・ユーレム程度の相手であれば、絶対に討てない相手ではない。
過去に依頼されたワンダーの、いずれかが討ち果たしていただろう。
だが、こいつが相手では、話は別だ。
人を多く喰らったせいか、その巨体はフサギコの想像を軽く凌駕していた。
例えスリースターズとマグマ・ドールの両方が使えた状態でも、倒せなかっただろう。
このデスイーター・ユーレムを倒せる可能性があるとすれば、フサギコのカードのなかでは――――
「……!!」
そうだ、何故だ。
何故、分かったのだ。
「サダコ!!」
「は、はい!?」
一瞬、デスイーター・ユーレムに対する恐怖さえ忘れたような、素っ頓狂な声をサダコは上げた。
「お前、見えるのか!?」
「な、何がですか!?」
「あのオッサンだ! 酒場の店主!」
酒場の店主が父親だったこともフサギコにとっては驚きだったが、それ以上に。
数百メートルは離れている相手を、はっきりと視認できていることが衝撃だった。
「は、はい……見えます、けど……」
そうか、そういうことか。
最初、酒場でシッターのことを聞いたとき、店主は何故かシスターのことを口にした。
サダコのことを、だ。
それに加えて、店主は一般人よりもワンダーやシッターについて詳しかった。
フサギコは当時、何とも思わず受け止めていたが、恐らくあれは、店主自身が昔そうだったからだ。
ワンダー崩れがいる、とも自分で言っていた。
親が千里眼を持つ人間なら、子も千里眼を受け継ぐ可能性は高い。
フサギコ自身が、そうであったように。
何より、あれほど離れた位置からこの戦いを見ることができている。
それこそが、店主が千里眼を持つことの証明。
そして、その姿を見ることができた、サダコも――――
「千里眼だ! サダコ! お前には千里眼がある!」
「え、え、え!?」
「どうせなら……!!」
賭けるしかない、とフサギコは思った。
デスイーター・ユーレムも、徐々にその巨体を眠りから覚ましかけているのだ。
「千里眼……!? わ、私が……!? じゃあ……!!」
「もしかしたら、デスイーター・ユーレムを倒せるかも知れねぇ!」
即座にフサギコはフォルダーからカードを取り出した。
二枚。【Lv.2 シャイニング・レイ】、【Lv.1 カレンデュラ】。
カレンデュラは、魔法の効果を長く持続させる力を持つ。
そしてシャイニング・レイは、周囲を強い光で照らしだす魔法。
デスイーター・ユーレムは、暗い地中に潜り続けているモンスター。
出現も、必ず決まって陽が落ちたあとだ。
ならば、光には弱い。
眼をやられ、全身の肌は光の熱量で焦げ付き、絶命するだろう。
それを、フサギコは確信していた。
「この二枚を……ッ!!」
そう、言いかけたところで、フサギコは絶句した。
あることに、気づいてしまった。
普通、ワンダーもシッターも、カードを使い始めたばかりの頃は、使用魔力の低いカードから慣れていく。
理論的には、自己魔力の上限に収まっていればカードを使えるが、ハイレベルカードは衝撃が強い。
カードを使い慣れていないものには、耐えられない可能性があった。
シャイニング・レイも、カレンデュラも、使えるはずだ。
ただし、上限にはかなり近い。
衝撃に耐えきれなかった場合、待ちうけるのは、死。
フサギコは、声に出せなかった。
この二枚を、使ってほしいと。
サダコを助けるための戦いで、サダコが犠牲になる。
それでは、フサギコにとって何の意味もないのだ。
しかし、他に手がないことも事実。
唇が震え、声を出せないでいるフサギコ。
そして、その手から――――
サダコは、カードを抜き取った。
「このカードを、使えばいいんですよね」
「違ッ……!」
何も違わない。
そうする以外に、道はないのだ。
分かっているのに、フサギコは、踏み出せなかった。
そのフサギコを見て、サダコは優しく笑う。
「分かります、何となく。多分、このカードを使うと、私は死ぬんだってこと」
「……違う……絶対じゃない、が……」
「安心しました。死なずに済む可能性も、あるんですね」
しまった、とフサギコは心のなかで呟いた。
絶対に死ぬ、と言ってサダコを止めるべきだった。
止めたところで、どうしようもない。
本当は、サダコに頼るしかないと、分かっていながら。
「……すまん……頼む……」
「どうすれば、いいのでしょうか」
「……俺に触れながら、パッケージとカード名称を唱えてくれ……それだけでいい……。
先にカレンデュラ、それからシャイニング・レイだ……」
「分かりました」
決然としている、サダコ。
悄然としている、フサギコ。
死に立ち向かおうとしている者が、どちらか分からなくなるような。
そんな光景だった。
人など容易く握り潰してしまえそうな、大きな腕の先にある手。
そこから伸びる爪は、どれほど丹念に研がれた刃物よりも、鋭い切れ味を持っている。
デスイーター・ユーレムの目は、確かにサダコとフサギコを捉えていた。
「いきます」
デスイーター・ユーレムの両手が、天高く掲げられる。
月の微弱な光さえ、覆い隠すように。
そして、振り下ろされる。
その直下では、サダコの冷静な声が発されていた。
「Eternal/Mix/Continuance/Point 【Lv.1 カレンデュラ】」
サダコを中心に広がる、光の輪。
デスイーター・ユーレムの腕は、一瞬降下を鈍らせた。
カレンデュラ、発動。
そして――――
「Eternal/Complex/Shine/Scope」
神が、この世にいるはずはない。
そんなものがいれば、そもそもサダコはこんな目にすら遭っていないはずだ。
フサギコは、分かっていた。
だが、それでも、祈るように、固く眼を閉じた。
「Lv.2」
徐々に、光が拡散していく。
デスイーター・ユーレムの腕が、サダコに迫る最中で。
それでも、サダコは、最後まで冷静だった。
「シャイニング・レイ」
――――三ヶ月後。
フサギコは、フィストラトスの頂上に立っていた。
「さすがだな……世界百景に選ばれるだけはある……」
頂上の土を踏みしめ、景観を眺望した。
心に湧きあがってくる感情を、じっと抑えながら。
「……こういう光景を……本当は、一緒に見たかったんだけどな……」
寂しげな呟きは、風に混じっていく。
鞄をどさりと降ろした。
中から、一本のナイフを取り出したあとに。
そして、フサギコは空いたほうの手を伸ばす。
「よう、怖かったか」
「すっごく怖かった、です……もう、目を開けても大丈夫ですか……?」
「まだだ、もうちょっと待て、サダコ」
サダコの手を掴んで、体を引き寄せるフサギコ。
固い地面へと導いた。
ノックアップを使い、二人はやってきたのだ。
世界百景のうちのひとつに選ばれる、フィストラトスの頂上へと。
浮かんでいる途中、サダコは恐怖から目を閉じていた。
フサギコが、そうしていろと言ったからだ。
そして頂上についてもまだ、フサギコは瞼を閉じさせていた。
「ま、まだですか……?」
「ちょっと待てって」
体を縮こまらせているサダコの、黒い髪をフサギコは優しく掴んだ。
サダコは驚いて、更に固く瞼を閉じさせる。
前髪は、顎を越えている。
後髪は、腰を越えている。
それぞれ、フサギコは手にしたナイフで、切り落とした。
「え、あれ……? 髪を……?」
「もったいないぜ、髪で視界なんか塞いでたら」
切り落とされた髪は風に飛ばされていく。
そして、フサギコは微笑んだ。
「開けていいぞ」
サダコの視界に、光が入りこむ。
徐々に広がっていく。
その光の、先には――――
「……凄い……!!」
眼下の樹海さえ、指の間に収まるほどちっぽけな存在。
カシアスの町も、まるでミニチュア。
そして、その向こうに広がる、海原。
どこまでも、どこまでも続いている世界。
海上には島々が浮かんでいた。
ちょうど、百八つ。
それら全てを見渡せるのは、フィストラトスの頂上の他にはない。
島々は独自の色を持っている。
土の色、あるいは木々の色。
それぞれ、島ひとつひとつが固有の色を持しているのだ。
海の星、と呼ばれていた。
「世界で唯一、昼間でも星がキレイに見えるんだ、ここは」
「知ってます……ずっと、ずっと見たかったんです……」
涙ぐみながら、サダコは世界を見渡していた。
滲んだ視界でも、はっきりと海の星は見える。
強い輝きを発しているかのように。
「占術屋に来る旅の方が、仰ってたんです……海の星は、一度は見る価値がある、って……。
フィストラトスに昇ることは難しいけれど、見て損はないって……」
「そうだな、まともに昇ろうとすると厳しい。道中にBカテゴリー以上のモンスターがわんさかいる。
かといって、ノックアップを用意するのも難しいんだ、ホントは。
俺はこのために頑張って作ったけどな」
「そうなんですか……? 何故、フサギコさんは、ここに……?」
「世界百景を、制覇したいんだ、俺は」
フサギコは、その場に腰を降ろした。
サダコも寄り添うような位置で膝を折る。
気圧の変化から身を守るため、フサギコが【Lv.2 シェル】を発動させている。
サダコは、フサギコの側から離れられない。
「旅の目的、ってのがそこにあるんだけどな」
「何故、世界百景を……?」
フサギコは、懐かしむような表情のまま、笑った。
「俺の親父はワンダーで、魔法を使って色んなとこに連れてってくれたんだ。
ユゼルト峡谷とか、ティーセパン河川とか……ビオル雪原も行ったなぁ。
俺は、自然と色んな景色を見るのが好きになってた。
そのなかでも特に凄かったのが、レグリオル山脈の、クワイレル山だ。
標高13302メートルの、世界最高峰。
魔法を持たない人間じゃあ、とても辿りつけない境地。
雲海さえ遥かに遠いそこは、完全に別世界だった。
言葉にできなかったよ、ホントに。
白い絵の具をぶちまけたみたいな、一面真っ白な世界で……」
輝かしい表情のまま、その景色を口で懸命に表現しようとするフサギコ。
サダコはずっと笑顔で、フサギコを見つめていた。
「クワイレル山に連れてってくれた、二年後に親父はSSカテゴリーのモンスターにやられた。
もちろん、覚悟してたことだが、やっぱり辛かったな、あれは……。
いつも俺と兄貴を楽しませてくれた、親父が大好きだったし、尊敬してたから……」
「お兄さんも、いらっしゃるのですか?」
「ん? あぁ。尊敬する親父に追い付こう、って二人で約束して、ワンダーになった。
二人とも千里眼を持ってたのは分かってたからな。
いつか、もっと色んな景色を見て、クワイレル山にも行こうって話してて……。
……でも、ずっと一緒に旅してた兄貴も、SSカテゴリーのモンスターに勝てず、やられちまったんだ。
俺よりずっとずっと、強かった兄貴だけど、夢は果たせなかった。
どっちも、モンスターにやられて困ってた町を助けようとしてたんだ。親父も兄貴も、優しかったから。
俺は、夢と約束を果たしたかった。
だから、今までほとんど、モンスター討伐はやってこなかったよ。
そういう噂を聞いた町は、ことごとく避けてきた」
「……では、何故……何故、私たちを助けてくれたのですか?」
「やっぱし、目の前で困ってるのを見ると、ほっとけないもんだな、ってさ。
親父と兄貴の血は、俺にも流れてんだなぁって思ったよ。
普段なら絶対、Sカテゴリーのモンスターなんて相手にしねぇのに」
「ありがとうございます、本当に。みんな、本当に感謝しています」
「やめてくれ。礼を言われるのは苦手なんだ、面映ゆくて」
「足りないくらいです、全然」
「結局は、お前の力だ、サダコ。
お前が限界まで魔力を絞り切って、シャイニング・レイを完璧に発動させたから」
「私は、よく覚えていないのですけれど……充分でしたか?」
「充分すぎるくらいだ。多分、光属性の魔法が合ってるんだろうな。
他のシッターじゃ、シャイニング・レイとカレンデュラのコンボでも、デスイーター・ユーレムを倒せたかどうか」
「そうなんですか?」
「まぁな」
状況が揃っていた、ということもある、とフサギコは思っていた。
カシアスの町を襲っていたデスイーター・ユーレムは、20年間、人を喰らいつづけた。
その多くは、捧げられた生贄を喰らうだけであり、地上にいる時間はほとんどなかったはずなのだ。
微弱な月や星の光さえ、受けることはない。
光への耐性は、いっそう弱まっていたはずだ。
そこへ、強力なシャイニング・レイを受けた。
まともな戦いも、長年遠ざかっていた。
加齢もあっただろう。デスイーター・ユーレムの身体は、相当に脆弱化していたのかも知れない。
勝てたのは、運が良かったからだ。
フサギコはそういう結論に達していた。
ただ、サダコの魔力が、シャイニング・レイとカレンデュラに耐えきれたことは、フサギコにとって予想外だった。
話を聞けば、やはり酒場の店主は元ワンダーだったのだ。
名前に聞き覚えはなかったが、かつてはカテゴリーAのモンスターを倒したこともあるらしい。
デスイーター・ユーレムには、16年前に立ち向かったと口にした。
そのときの戦いで、サダコの母であるシッターを失った、とも。
戦いに興奮したことで、デスイーター・ユーレムは町の人間を数人喰らった。
その責任を感じて、酒場の店主は、娘のサダコを生贄に捧げようとしていたのだ。
フサギコにとっては、度し難い理由だった。
無論、叱責しようとはした。
それを止めたのは、他ならぬサダコだった。
理由の全てを知っても、サダコは父親を庇ったのだ。
誰よりも辛い思いをしたのは、きっとお父さんだから、と。
フサギコは、納得いかなかったが、サダコに止められては何も言えなかった。
「では、これからは」
「ん?」
「これからは、また、違う場所へと向かうのですか?」
フサギコの真横に座っているサダコは、膝を抱えている。
その膝に、頭をつけながら、しかし顔はフサギコのほうを向けていた。
髪を短くしてからのサダコは、まるで別人のようだ、とフサギコは感じていた。
「そーいや、酒場の店主の嫁さん、写真見たけど美人だったもんなぁ……」
「……は、はい?」
「独り言だ、気にすんな。俺は次の景色を求めにいくよ。
次は、そうだな。リルレグ高原かな」
今まで、誰かに行き先を告げたことなど、フサギコには経験がなかった。
しかし、サダコ相手には、自然と口から出てきた。
旅の理由にしても、そうだ。
誰かに話すことを、今まで頑なに拒んできた。
軽い意地があり、誰かに話すことが気恥かしく思えていたためだ。
だが、何故サダコには。
フサギコは、分からないふりをしていた。
「……でしたら……」
横向けていた顔を、膝に埋めさせるサダコ。
しかし、次の言葉はなかなか発さない。
それを見て、フサギコは助け舟を出した。
「一緒に来るか? サダコ」
弾けるように、サダコは顔を上げた。
「俺は滅多にモンスター討伐なんてやんねぇから、年がら年中ひもじい思いしてんだ。
つまり貧乏ワンダーで、とても専属シッターを雇う余裕なんてなかった。
だから、もし俺についてきてくれるとしても、報酬なんて全く出せねぇけど……」
それでも、良ければ。
そう言いきる前に、サダコはフサギコの手を掴んでいた。
「行きます! 私も、世界中を旅してみたいです!
今までずっと、何も見てこれなかったから……!」
「そうだよな、まだ何にも知らないんだもんな。
世界にはもっと、もっと凄いとこがいっぱいあるんだぜ」
「フサギコさんと、一緒に見たいです!」
「決まりだな」
フサギコは、フォルダーからカードを10枚ほど取り出した。
それらは全て、シッター専用のカードだ。
「お前に渡しとくよ、これは。珍しいカードがけっこうあるが、特にシャイニング・レイは貴重だから、大切にしてくれよ」
「は、はい!」
「で、当面の目標についてだが」
シッター専用のカードと同時に、取り出したカード。
名称、ワープスター。
「【Lv.1 ワープスター】。こいつはまだ、目に見える範囲にしか移動できない。
これがLv.3になると、地名を告げるだけでそこに移動してくれる。
つまり、世界最高峰のクワイレル山の頂上にもひとっ飛びってわけだ」
サダコは、目を輝かせながらフサギコの言葉を聞いていた。
「今後は、これをLv.3にすることを目標にしていく。
ただ、簡単じゃないぞ。カードのレベルアップは、カードを合成することで果たせるんだが……。
Lv.2にするだけでも、素材に必要なのが、マグネットのLv.2とか、ウイング・カッターのLv.3とか、レムナントのLv.2とか……」
「なんか、大変そうですね……」
「だからクワイレル山の制覇者は数少ない。困難極まる道だ、ホントに。
素材のカードを集めるためには、こういう危険な場所に来る必要もあるし、そればっかだからカネはねぇし……。
どうする、ついてくるのはやめとくか?」
「意地悪な質問ですね、答えなんて分かってるくせに」
サダコは、やはり笑顔が似合う女だ。
フサギコは改めてそう思った。
そして、今さらながら、危険を顧みず人を助けにいった父親や兄の気持ちが、分かった気がしていたのだ。
「よし、じゃあそろそろ下りるか。シェルの効果も切れてきそうだし」
「あ、はい。今度は何のカードを使うんですか?」
「え?」
何のカードを使うか。
登りは、ノックアップで浮いてきた。では、下りは。
「……あ……」
「え、え?」
「……考えてなかった……」
「ええええぇぇぇぇ!?」
右往左往するフサギコ、サダコ。
そこはフィストラトス、標高5000メートル近い山。
「なんていうか……俺って、後先考えないとこが、あってだな……。
実はデスイーター・ユーレムと戦う前にも、勘違いで最強カード使っちまって……。
そのせいで、あんとき魔力が……」
「ど、どうするんですか!?」
「どうしよう……やっぱ俺についてくるのは止めとくか……?」
「や、やめませんけど……」
「……まぁ、俺についてくるんだったら、こんくらいのことには慣れてもらわないとな、うん。
よーし、なんとかして頑張って下りよう!」
「な、なんとかなります!?」
「多分な!」
フサギコは、笑顔で右手を差し出した。
サダコは、少し呆れ気味の顔で、しかし口元を緩ませながら、フサギコの右手を握り締める。
「行くぞ!」
「は、はい!」
二人の真上に広がる蒼穹は、僅かな断雲さえ浮かんでいない。
果てしない大海原と交じりあって、境界線さえどこにも見当たらない風景。
それを背後に、二人は、勢いよく駆け出して行った。
屈託のない、笑顔のままで。
【その眼に映る、行方知れずの天壌無窮】
~The End~
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名無しさん 面白かったです
本当に、最高でした
名無しさん 面白かった!!
長編化してほしい
名無しさん いいもん読ませてもらったよ。
名無しさん 楽しんで読みました。
ありがとう。
名無しさん おもしろかったなあ
続き読みたい
名無しさん やっぱ面白い
名無しさん うーん、やっぱり短編には一つ欠点があるなぁ…
…『続きが読めない』
名無しさん 凄い引き付けられた……
アルファ完結したら是非長編化して欲しいです
名無しさん あんだけバラ撒いた伏線をきっちり全部拾ってるのはさすが
面白かった
名無しさん ほんと面白い。
アルファ完結したらこんな感じにブーン系小説の枠にとらわれない感じのやつをたくさん読みたいなー
「おっさーん」
この町で唯一、活動らしい活動をしているのが、酒場だった。
他は店じまいしてから幾年も経っているかのような寂れ具合だ。
自然とフサギコの気分は盛り上がる。
「ん……あぁ、フサギコさんですかい」
「おう、フサギコさんだぜ」
店主は、フサギコの思った通りふさぎ込んでいた。
「おっさん、ちょっと遠いかも知れねぇけどよ」
「はい?」
「中央政府にでも行きゃあ、それなりに有能なワンダーがいるんだぜ。
あいつら、モンスター討伐なんて垂涎ものの依頼は年中待ち望んでんだ。
一般人からカネをふんだくれるっつー邪まな理由ではあるけどよ」
「……フサギコさん、あんた……!」
「今度からはそいつらに頼めよ。
今回は、俺が特別に倒してやったから」
「ま、まさか、本当に!?」
「おう、跡形もなく消滅しちまったから証拠はねぇけど、いずれ分かることだろ。
この町を襲ってたスタリックは、俺が見事に」
フサギコの言葉の途中で、店主の表情から喜色が失われた。
立ち上がってフサギコに感謝の言葉を述べる直前、店主は再びカウンターに額を打ちつけた。
「……スタリック……」
「……あれ? 違うのか?」
「そいつは……時折、ここにやってきますが……。
ちょっと食い物を取っていくくらいの、可愛いもんです……」
「スタリックじゃない……? おい、何がいるってんだ?
だいたい、スタリックだってBカテゴリーのモンスターだぞ、弱くはねぇ。
それ以上のやつがいるなんて……」
「デスイーター・ユーレム」
店主から発された言葉に、フサギコは、声を失った。
「カテゴリーで言えば、Sでしょう」
デスイーター。
そのなかでも、特に凶悪な性質で知られるユーレム。
普段は地中に潜んでいるが、夜になると姿を現す。
そして、手当たり次第、獲物を食い尽くす。
フサギコも、滅多に名前を聞かないモンスターだった。
夜になると、と言われるが、実際にその姿を見たものは少ない。
一度栄養を蓄えると、活動をやめて地中に潜みつづけるためだ。
出現頻度は、年に一度と言われていた。
「ちょうど、一年です。毎年、この日にやってくるんです。
今年で、二十年目です。必ず、またやってきます」
「……そうか、最初に俺をワンダーと知って、微妙な顔したのは……」
「頼めねぇんですよ、ワンダーには。
誰も相手にしたがらねぇんです。
デスイーター・ユーレムは」
「だろうな……大抵のワンダーじゃあ、歯が立たない相手だ。
ズルイやつなら、前金だけ貰って逃げたりもするだろうな」
「えぇ……そんなことはもう、何回も経験しました」
ワンダーという職業は、決して清廉なものではない。
魔法が使えるという特権を用いて、一般人を騙す者など、フサギコは自分が千手観音だったとしても、指では数えきれないほど居る。
フサギコも多くを知っているわけではないが、まともなワンダーのほうがむしろ少ない、という考えは持っていた。
「しかし……SSカテゴリーのモンスターならまだしも、Sカテゴリーじゃあ、政府が動くほどの大敵でもない」
「世の中には、何十人もの命を一瞬で奪うようなモンスターもいる。
それくらい、知ってます。何かに襲われてるのは、この町だけじゃねぇんです。
だから……何もできない」
「じゃあ……サダコは……」
店主は、顔を伏せたまま、涙を流しはじめた。
「デスイーター・ユーレムは、必ず一人の人間を食らいます。
あとは食料程度で地中に帰るんです。
だから……毎年、誰かを」
「とんでもねぇ馬鹿だな、アンタらは」
店主は、思わず顔を上げた。
青筋を立てたフサギコが、睨んでいた。
「毎年、生け贄を立ててたってことか?
そんなもん、デスイーター・ユーレムを餌付けしてるようなもんじゃねぇか。
毎年ここに来るのはそのせいだ!」
「だいたい、なんでアンタみたいなオッサンじゃなくて、若いサダコを生け贄に捧げるんだ!?
サダコは言ってたぜ! 生まれてから一度もあそこを出たことがねぇって!
生け贄にするために育ててたってことだろ!?」
「……否定はできやせん……あの子は、そのために生きてきたんです」
「ふざけんな!!
自分かわいさに、生きる希望を持たないようにサダコを育てた!
アンタらのほうがよっぽどモンスターだ!」
「分かってんだ! こんなの、許されるわけねぇってことくらい!!
でも、じゃあどうすれば良かったんだ!?
進んで生け贄になる勇気なんて、誰もありゃしねぇんだ!」
「俺がやってやる」
フサギコは、カウンターに鞄を置いた。
店主は口を半開きにさせて、呆然とフサギコを見つめている。
「俺がデスイーター・ユーレムを討つ。
それでいいはずだ」
「世迷い言を……一人で勝てるわけねぇんですよ、あんな化け物に……」
「デスイーター・ユーレムの何よりの特徴は、長い腕を使った遠距離攻撃……。
そして弱点は……長い間……地中……弱さ……」
フサギコは、喋りながら考えていた。
いかにして、デスイーター・ユーレムを討つか。
「遠距離攻撃があると、迂闊には近づけない……となると、遠距離でも命中率が高いカード……」
フォルダーのなかからカードを取り出して捲る。
Attack内のカードは全て確認した。
そして、選びだした結論。
「……【マグマ・ドール】。こいつか」
フサギコはすぐに立ち上がった。
日が落ちるまで、幾許の猶予もない。
「おっさん、サダコはどっかに逃がすぞ」
「それは……!」
「許可を求めてるわけじゃねぇよ。ただの報告だ、答えなんか要らねぇ」
店主は口を噤む。
そして、祈るような表情で、フサギコの背中を見送った。
酒場を出たフサギコは、すぐにサダコの店に向かったわけではなかった。
先ほどスリースターズを使ったこと影響もあるが、とにかく体力が満足な状態ではない。
特に、空腹は耐えがたいレベルだったのだ。
(くそっ……マジで時間ねぇのに……)
こんなことなら、スリースターズを使うべきではなかった。
フサギコがそう後悔しても、今更遅すぎる話ではあった。
フサギコが持するカードのなかで最強であるため、魔力の消耗も激しい。
仮に魔力の最大値を10とすれば、今のフサギコには5か6程度しか残されていなかった。
体力と魔力は別物だが、完全に切り分けられるものではない。
魔力の回復には、体力の回復が必須なのだ。
しかし。
「……くそ、日が落ちる……」
フサギコは体力の回復を諦めて、サダコの店に向かった。
「サダコ!」
店の扉を開けるのと、どちらが早かったか。
フサギコは叫んだ。
サダコは、以前と変わらぬ様子でそこに座っていた。
しかし、フサギコの声に、あるいは姿に、驚きも見せていた。
「フサギコさん、今日のうちに逃げてくださいと」
「デスイーター・ユーレムだろ? 分かってる!
もう全部聞いたんだ! だから、逃げるのはお前のほうだ!」
「何を……! 私が逃げたら、みんなが犠牲になります!」
「ならねぇんだよ! 俺が倒す! それでいいはずだ!」
「分かってません、あなたは……何も、何も……」
肩を震わせながら、頭を横に振るサダコ。
フサギコは焦っていたが、サダコとの間には透明な壁がある。
それは、サダコのほうからしか開かない仕組みになっていた。
「あなたがデスイーター・ユーレムを倒せる保障なんて、どこにもありません……。
……それに、もうひとつ、きっとあなたは大きな勘違いをしています」
「なんだってんだよ」
「私は、皆のための犠牲になることこそ本望なのです」
決然とした、しかし悄然とした表情。
サダコの目はやはり、髪に隠れている。
「私は十七年もここにいました。
今更、外に出て生きてゆこうとは思いません。
自分の未来に希望もありません。
それが私の人生です。
ここで、死なせてください。
それが私にとっても、町にとっても、最善です。
フサギコさん、あなたには申し訳ありませんが……
あなたのやっていることは、自分勝手なエゴ以外の何物でもないのです。
迷惑ですから、早くどこかへ消えてください」
一気に喋りきったサダコは、少しだけ呼吸の間隔を短くしていた。
そしてまた、俯く。
フサギコは、すべての言葉を受け止めていた。
同じように、首を曲げて足下を見る。
だが、その表情に満ちている感情は、憤懣だった。
「サダコ」
「……はい」
「あんた、生まれてから、嘘をついたことはあるか?」
サダコは、顔を上げた。
しかしフサギコは、長い髪を垂らさせたままだ。
「……ありません、一度たりとも」
「だろうな、そうだと思った」
フサギコの、納得した旨の言葉。
それに、サダコは納得できなかった。
「どういう意味ですか?」
「……声がな、震えてんだよ」
サダコは、はっとして口を隠した。
その行動に何の意味もないと、分かっていながら。
「嘘ついたことなかったんだな、ってすぐ分かるぜ。
前に話したときも、はぐらかしはしてたけど、嘘はなかったしな」
「……私は……」
「信じられねぇんだよ。生きる目的が、死ぬことなんて。
そんなことを許容できるなんて。
人間、生きる理由はそれぞれだ。
でも、自ら望んで死ぬことに喜びを見出す人間なんて、俺は見たことねぇ。
仮にいたとしても、あんたは違う。
未来に希望を持たない人間が、他人の未来を占ったりするか?
未来を語り合ったりするのか?」
「……それは……」
「何よりも……何よりも、だ。
俺が、ワンダーについて話したとき、すげぇ興味深そうにしてたじゃねぇか。
あれは、外の世界が知りたいと思ったからじゃねぇのか!?」
サダコはじっと俯いている。
その双肩を、小刻みに震えさせながら。
「デスイーター・ユーレムは絶対に俺が討つ。
あんたが犠牲になる必要なんて、どこにもない。
それでもまだ、死にたいのか? 本当にそう思うのか!?」
透明な壁に手をかけて、フサギコはサダコに迫った。
そしてサダコも、縋るように、フサギコの手に自分の手を合わせる。
「……思いません……」
涙混じりの声は、透明な壁に遮られることなく、フサギコの耳に届いていた。
「私だって、生きられるなら生きたい……!
もっと、もっと、生きて……外に出て、世界を見てみたい!」
「それだけ聞けりゃ、十分だ」
フサギコは、朗らかに微笑んだ。
「全部終わったら、いいとこ連れてってやるよ。
死ぬなんて考えてた自分が、バカバカしくなるくらい、すげぇとこに。
だから生きろ。絶対に、だ」
「……はい……!」
透明な扉が、開かれる。
結合部は錆びていて、扉を重くしていた。
フサギコが手伝うことによって、ようやく、サダコは檻から解放される。
「ん!?」
サダコの肩を抱いて、立ち慣れていない体を支えるフサギコ。
その鼻が、急にひくつきだした。
「食いもん! なんかあんのか!?」
「あ、デスイーター・ユーレムを誘き寄せるために……」
そうか、ここにため込んでいたのか。
だから町中の飲食店が閉まっていたのか。
フサギコは、今更そんなことに気づいた。
「貰うぞ! 腹減って魔力がやべぇ!」
以前、サダコと向かい合っていたフサギコの位置からは、死角。
部屋の片隅に積み上げられた箱には、肉から野菜、果物まで実に様々な食材が詰め込まれていた。
「最初からここ来りゃ良かったのか、くそっ……」
とにかく何かを手に掴み、すぐさまかじるフサギコ。
溢れ出す果汁。柑橘系の果物。
そう、認識した瞬間。
「ッ……!」
来た。
何が、なのかは、フサギコにとって、考えるまでもないことだった。
サダコの全身は、震えている。
それは、恐怖。そして町全体を揺るがすような、地響き。
(逃がす時間は、ねぇな……)
ここには食料が溜め込まれている。
できれば、サダコを遠ざけたいとフサギコは思っていた。
しかし、それももはや厳しい。
「サダコ、外に出るなよ」
「は、はい」
すぐさまサダコの占術屋を飛び出すフサギコ。
瞬間、またも地は揺れ動いた。
かなり、近い。
そう感じたフサギコは、すぐさまフォルダーからカードを取り出す。
(条件さえ整えば、一撃で終わらせられるはずだ……)
手にしたカードは三枚。
そのうちの一枚は、【マグマ・ドール】だが、他の二枚は――――
「うおっ!」
三度目の揺らぎは、辛うじて立っていられた、というほどの規模。
カードを手から零さないために、そして、出現箇所を見極めるために、フサギコは集中力を高める。
四度目。
今度は、地震といってもよかった。
フサギコは、若干の恐怖とともに、そう感じた。
Sカテゴリーに属するモンスター。
酒場の店主やサダコに言うことはなかったが、フサギコにとって、今まで相対したことがない相手だ。
勝てる保証など、本当はどこにもない。
だが、それでも。
フサギコは、二本の足で、そこに立っているのだ。
「……来たな」
近傍の広場の土が、盛り上がる。
地面に亀裂が走る。
その直後には、飛び出してきていた。
数メートルの体長と、その体よりも長い腕。
赤い瞳と緑の鱗、臥するような体勢でフサギコを睨みつけている。
デスイーター・ユーレム。
蜥蜴類に属するが、フサギコには、竜といったほうが適切だろうと思えた。
双眸を光らせ、ゆっくりとフサギコに近づいてくる。
一瞬、フサギコは足が竦んだ。
大見得きって対峙したはいいが、Sカテゴリーのモンスターは、異次元の強さを持しているのだ。
だが、しかし。
モンスター被害を受けている一般人を助けるのは、ワンダー本来の役目だ。
黙って見過ごすことなど、できるはずがなかった。
結局は、自分も親父の子であり、兄貴の弟なのだ。
フサギコは、自虐的にそう思った。
「……Once/Complex/Shock/Scope」
まずは、第一手。
とにかく、敵の動きを封じにかかる。
「【Lv.1 シンバル】発動!」
フサギコを中心として、およそ半径50メートル。
突如、シンバルの音が鳴り響いた。
大音声に驚いたデスイーター・ユーレムは、明らかな混乱を見せた。
フサギコには、はっきりと勝機が見えた。
畳み掛けてやる。
フサギコは、心のなかでそう叫んだ。
「パッケージ! Once/Simple/Down/Scope!
【Lv.2 ノックアウト】!」
重低音を口から漏らし、喚きまわるデスイーター・ユーレム。
その上空から降りてくるのは空気圧。
元より地面を這って移動するデスイーター・ユーレムだが、押し潰されることによって身動きが取れない。
フサギコの狙いは、確実に上手くいっていた。
そのはずだった。
「ッ!!」
大音声による混乱と、圧迫感。
その二つは、確かに動きを封じ込めたが、しかし。
デスイーター・ユーレムは錯乱状態のまま、暴れまわった。
そして、Lv.2のノックアウトから脱したのだ。
「くそっ!!」
目が、完全に獲物を狙うときのそれへと変貌していた。
そして、フサギコが予想だにしなかったことが、ひとつあった。
長大な腕を、振り回すのではなく、高速の移動に使用してきたことだ。
大きく伸ばして、地面を掴み、素早く体を引き寄せる。
一瞬にして、フサギコとの距離を詰めた。
「Eternal/Owner/Deffe……!」
ダメだ、パッケージ指定が間に合わない。
フサギコは、瞬時に頭を切り替えて、素早く跳躍した。
足を払うような、デスイーター・ユーレムの一振り。
長く伸びた腕を振り回すだけの、ただそれだけの攻撃。
しかし、フサギコの背後にあったブリキの看板は、たやすく切り裂かれた。
ただ殴っただけなら、看板は根元から引き抜かれ、潰れて宙を舞ったはずだ。
だが、看板はあくまでその場に佇んでいる。頭の半分を、失った状態で。
まともに喰らえば、間違いなくやられる。
フサギコの全身が汗ばんでいるのは、蒸し暑さのせいではなかった。
(シンバルもノックアウトも、もうない……! どうする……!?)
何を選んでも、博打になる。
フサギコは、分かっていたが、踏み出せずにいた。
失敗した道の先に待っているのは、紛うことなき死だからだ。
化物と戦うことなど、当たり前の職業。
しかしフサギコは、今までそれをほとんど経験してこなかった。
それは、単純に、『死にたくない』という最も人間らしい理由で。
いや、厳密には、死ぬわけにはいかない、と言ったほうが正しい。
(……でももう、やっちまうしかねぇ、か……!)
フサギコは、その手に握り締める。
【マグマ・ドール】を。
かき消されれば、もはや打つ手はない。
しかし、フサギコに残された手も、他にはないのだ。
カードを右手にしたフサギコは、高らかに叫んだ。
「Once/Simple/Control/Hot! 【Lv.1 マグマ・ドール】!」
派手な効果はない。
カードの赤い光はただ、一直線にデスイーター・ユーレムへと翔けてゆく。
直撃。
そして、苦しみだすデスイーター・ユーレム。
全身を熱させることで、体の自由を奪う。
もがき苦しんで上げる咆哮には、フサギコも一瞬、耳を塞ぎそうになった。
しかし、それでも。
それでもデスイーター・ユーレムは、フサギコへと接近してきた。
そして、マグマ・ドールの効力は切れる。
苦しみから解放された瞬間、デスイーター・ユーレムは、激情を爆発させてフサギコに襲いかかった。
大きく後ろへと引いた腕。反動をつけての攻撃。
フサギコは、にやりと笑った。
「隙だらけだぞ、デスイーター・ユーレム」
その、左手に握り締められたカード。
それは、もうひとつの、パッケージ違いの【マグマ・ドール】。
懐に完全な隙を作ったデスイーター・ユーレムを、見据えながら。
パッケージとカード名称を、声高に宣言する。
「Eternal/Simple/Attack/Fire! 【Lv.3 マグマ・ドール】!!」
フサギコの左腕から、立ち上る炎。
それはやがて収束し、人の形を成していく。
左腕から、離れる。
マグマ・ドールはデスイーター・ユーレムへと接近する。
しかし、デスイーター・ユーレムは、カテゴリーSのモンスター。
黙ってマグマ・ドールの接近を許したわけではなかった。
大きく反動をつけた右腕が、マグマ・ドールを狙う。
術者であるフサギコを狙ったところで、この攻撃は回避できないと判断していたのだ。
だが、マグマ・ドールは躍った。
デスイーター・ユーレムの攻撃を、跳躍で軽やかに躱したのだ。
リーチの長い攻撃は、連発できない。
デスイーター・ユーレムの体に、マグマ・ドールの腕が、触れた。
そして、そこに火達磨が生まれた。
再びもがき苦しむデスイーター・ユーレム。
今度は、そう簡単に効力が切れることもない。
燃え盛り、まるでデスイーター・ユーレムが炎の人形のようになっていた。
フサギコは、既に魔力を使い果たしたことで、両の膝を折っている。
だがもう、身を守る必要はない、と確信していた。
長い間、地上よりも温度の低い地中に潜んでいたということは、それだけ熱に慣れていない、ということだ。
Sカテゴリーのモンスターとはいえ、弱点を突かれては一溜まりもない。
やがて、その身を黒く染めたデスイーター・ユーレムの死骸が、広場に転がった。
「……終わった……」
フサギコにとって、苦しい戦いではあった。
過去にSカテゴリーのモンスターを倒したことは一度もなく、Aカテゴリー相手さえ経験は少ない。
死こそ免れたものの、討ち果たすに至らなかったAカテゴリーモンスターもいる。
今回も、博打味は存分にある戦いだった。
それでもデスイーター・ユーレムを倒せたことで、フサギコのなかには言い知れない満足感があった。
「サダコ、終わったぞ」
広場から少し離れた場所に、サダコの店はある。
そちらへ向かって、フサギコは大声で呼びかけた。
恐る恐る、店から顔を出すサダコ。
今まで外に出たことがない、と言っていたからだろうか。
それとも、デスイーター・ユーレムに対する恐怖からだろうか。
どっちでもいいか、と、フサギコは軽く笑った。
その笑みが消えるのは、サダコの表情を確認した直後。
「……違う……」
声と、全身を震わせている。
夜といえど外は蒸し暑い。寒気によるものではない。
サダコは、はっきりと、恐怖を覚えていたのだ。
「……違う? なにがだ、サダコ」
「違う……! これじゃありません!
私が写真で見たデスイーター・ユーレムは、もっと、もっと大きくて……!!」
「なっ……!!」
――――そして、やってくる。
そのときが、やってくる。
その5へ
この町で唯一、活動らしい活動をしているのが、酒場だった。
他は店じまいしてから幾年も経っているかのような寂れ具合だ。
自然とフサギコの気分は盛り上がる。
「ん……あぁ、フサギコさんですかい」
「おう、フサギコさんだぜ」
店主は、フサギコの思った通りふさぎ込んでいた。
「おっさん、ちょっと遠いかも知れねぇけどよ」
「はい?」
「中央政府にでも行きゃあ、それなりに有能なワンダーがいるんだぜ。
あいつら、モンスター討伐なんて垂涎ものの依頼は年中待ち望んでんだ。
一般人からカネをふんだくれるっつー邪まな理由ではあるけどよ」
「……フサギコさん、あんた……!」
「今度からはそいつらに頼めよ。
今回は、俺が特別に倒してやったから」
「ま、まさか、本当に!?」
「おう、跡形もなく消滅しちまったから証拠はねぇけど、いずれ分かることだろ。
この町を襲ってたスタリックは、俺が見事に」
フサギコの言葉の途中で、店主の表情から喜色が失われた。
立ち上がってフサギコに感謝の言葉を述べる直前、店主は再びカウンターに額を打ちつけた。
「……スタリック……」
「……あれ? 違うのか?」
「そいつは……時折、ここにやってきますが……。
ちょっと食い物を取っていくくらいの、可愛いもんです……」
「スタリックじゃない……? おい、何がいるってんだ?
だいたい、スタリックだってBカテゴリーのモンスターだぞ、弱くはねぇ。
それ以上のやつがいるなんて……」
「デスイーター・ユーレム」
店主から発された言葉に、フサギコは、声を失った。
「カテゴリーで言えば、Sでしょう」
デスイーター。
そのなかでも、特に凶悪な性質で知られるユーレム。
普段は地中に潜んでいるが、夜になると姿を現す。
そして、手当たり次第、獲物を食い尽くす。
フサギコも、滅多に名前を聞かないモンスターだった。
夜になると、と言われるが、実際にその姿を見たものは少ない。
一度栄養を蓄えると、活動をやめて地中に潜みつづけるためだ。
出現頻度は、年に一度と言われていた。
「ちょうど、一年です。毎年、この日にやってくるんです。
今年で、二十年目です。必ず、またやってきます」
「……そうか、最初に俺をワンダーと知って、微妙な顔したのは……」
「頼めねぇんですよ、ワンダーには。
誰も相手にしたがらねぇんです。
デスイーター・ユーレムは」
「だろうな……大抵のワンダーじゃあ、歯が立たない相手だ。
ズルイやつなら、前金だけ貰って逃げたりもするだろうな」
「えぇ……そんなことはもう、何回も経験しました」
ワンダーという職業は、決して清廉なものではない。
魔法が使えるという特権を用いて、一般人を騙す者など、フサギコは自分が千手観音だったとしても、指では数えきれないほど居る。
フサギコも多くを知っているわけではないが、まともなワンダーのほうがむしろ少ない、という考えは持っていた。
「しかし……SSカテゴリーのモンスターならまだしも、Sカテゴリーじゃあ、政府が動くほどの大敵でもない」
「世の中には、何十人もの命を一瞬で奪うようなモンスターもいる。
それくらい、知ってます。何かに襲われてるのは、この町だけじゃねぇんです。
だから……何もできない」
「じゃあ……サダコは……」
店主は、顔を伏せたまま、涙を流しはじめた。
「デスイーター・ユーレムは、必ず一人の人間を食らいます。
あとは食料程度で地中に帰るんです。
だから……毎年、誰かを」
「とんでもねぇ馬鹿だな、アンタらは」
店主は、思わず顔を上げた。
青筋を立てたフサギコが、睨んでいた。
「毎年、生け贄を立ててたってことか?
そんなもん、デスイーター・ユーレムを餌付けしてるようなもんじゃねぇか。
毎年ここに来るのはそのせいだ!」
「だいたい、なんでアンタみたいなオッサンじゃなくて、若いサダコを生け贄に捧げるんだ!?
サダコは言ってたぜ! 生まれてから一度もあそこを出たことがねぇって!
生け贄にするために育ててたってことだろ!?」
「……否定はできやせん……あの子は、そのために生きてきたんです」
「ふざけんな!!
自分かわいさに、生きる希望を持たないようにサダコを育てた!
アンタらのほうがよっぽどモンスターだ!」
「分かってんだ! こんなの、許されるわけねぇってことくらい!!
でも、じゃあどうすれば良かったんだ!?
進んで生け贄になる勇気なんて、誰もありゃしねぇんだ!」
「俺がやってやる」
フサギコは、カウンターに鞄を置いた。
店主は口を半開きにさせて、呆然とフサギコを見つめている。
「俺がデスイーター・ユーレムを討つ。
それでいいはずだ」
「世迷い言を……一人で勝てるわけねぇんですよ、あんな化け物に……」
「デスイーター・ユーレムの何よりの特徴は、長い腕を使った遠距離攻撃……。
そして弱点は……長い間……地中……弱さ……」
フサギコは、喋りながら考えていた。
いかにして、デスイーター・ユーレムを討つか。
「遠距離攻撃があると、迂闊には近づけない……となると、遠距離でも命中率が高いカード……」
フォルダーのなかからカードを取り出して捲る。
Attack内のカードは全て確認した。
そして、選びだした結論。
「……【マグマ・ドール】。こいつか」
フサギコはすぐに立ち上がった。
日が落ちるまで、幾許の猶予もない。
「おっさん、サダコはどっかに逃がすぞ」
「それは……!」
「許可を求めてるわけじゃねぇよ。ただの報告だ、答えなんか要らねぇ」
店主は口を噤む。
そして、祈るような表情で、フサギコの背中を見送った。
酒場を出たフサギコは、すぐにサダコの店に向かったわけではなかった。
先ほどスリースターズを使ったこと影響もあるが、とにかく体力が満足な状態ではない。
特に、空腹は耐えがたいレベルだったのだ。
(くそっ……マジで時間ねぇのに……)
こんなことなら、スリースターズを使うべきではなかった。
フサギコがそう後悔しても、今更遅すぎる話ではあった。
フサギコが持するカードのなかで最強であるため、魔力の消耗も激しい。
仮に魔力の最大値を10とすれば、今のフサギコには5か6程度しか残されていなかった。
体力と魔力は別物だが、完全に切り分けられるものではない。
魔力の回復には、体力の回復が必須なのだ。
しかし。
「……くそ、日が落ちる……」
フサギコは体力の回復を諦めて、サダコの店に向かった。
「サダコ!」
店の扉を開けるのと、どちらが早かったか。
フサギコは叫んだ。
サダコは、以前と変わらぬ様子でそこに座っていた。
しかし、フサギコの声に、あるいは姿に、驚きも見せていた。
「フサギコさん、今日のうちに逃げてくださいと」
「デスイーター・ユーレムだろ? 分かってる!
もう全部聞いたんだ! だから、逃げるのはお前のほうだ!」
「何を……! 私が逃げたら、みんなが犠牲になります!」
「ならねぇんだよ! 俺が倒す! それでいいはずだ!」
「分かってません、あなたは……何も、何も……」
肩を震わせながら、頭を横に振るサダコ。
フサギコは焦っていたが、サダコとの間には透明な壁がある。
それは、サダコのほうからしか開かない仕組みになっていた。
「あなたがデスイーター・ユーレムを倒せる保障なんて、どこにもありません……。
……それに、もうひとつ、きっとあなたは大きな勘違いをしています」
「なんだってんだよ」
「私は、皆のための犠牲になることこそ本望なのです」
決然とした、しかし悄然とした表情。
サダコの目はやはり、髪に隠れている。
「私は十七年もここにいました。
今更、外に出て生きてゆこうとは思いません。
自分の未来に希望もありません。
それが私の人生です。
ここで、死なせてください。
それが私にとっても、町にとっても、最善です。
フサギコさん、あなたには申し訳ありませんが……
あなたのやっていることは、自分勝手なエゴ以外の何物でもないのです。
迷惑ですから、早くどこかへ消えてください」
一気に喋りきったサダコは、少しだけ呼吸の間隔を短くしていた。
そしてまた、俯く。
フサギコは、すべての言葉を受け止めていた。
同じように、首を曲げて足下を見る。
だが、その表情に満ちている感情は、憤懣だった。
「サダコ」
「……はい」
「あんた、生まれてから、嘘をついたことはあるか?」
サダコは、顔を上げた。
しかしフサギコは、長い髪を垂らさせたままだ。
「……ありません、一度たりとも」
「だろうな、そうだと思った」
フサギコの、納得した旨の言葉。
それに、サダコは納得できなかった。
「どういう意味ですか?」
「……声がな、震えてんだよ」
サダコは、はっとして口を隠した。
その行動に何の意味もないと、分かっていながら。
「嘘ついたことなかったんだな、ってすぐ分かるぜ。
前に話したときも、はぐらかしはしてたけど、嘘はなかったしな」
「……私は……」
「信じられねぇんだよ。生きる目的が、死ぬことなんて。
そんなことを許容できるなんて。
人間、生きる理由はそれぞれだ。
でも、自ら望んで死ぬことに喜びを見出す人間なんて、俺は見たことねぇ。
仮にいたとしても、あんたは違う。
未来に希望を持たない人間が、他人の未来を占ったりするか?
未来を語り合ったりするのか?」
「……それは……」
「何よりも……何よりも、だ。
俺が、ワンダーについて話したとき、すげぇ興味深そうにしてたじゃねぇか。
あれは、外の世界が知りたいと思ったからじゃねぇのか!?」
サダコはじっと俯いている。
その双肩を、小刻みに震えさせながら。
「デスイーター・ユーレムは絶対に俺が討つ。
あんたが犠牲になる必要なんて、どこにもない。
それでもまだ、死にたいのか? 本当にそう思うのか!?」
透明な壁に手をかけて、フサギコはサダコに迫った。
そしてサダコも、縋るように、フサギコの手に自分の手を合わせる。
「……思いません……」
涙混じりの声は、透明な壁に遮られることなく、フサギコの耳に届いていた。
「私だって、生きられるなら生きたい……!
もっと、もっと、生きて……外に出て、世界を見てみたい!」
「それだけ聞けりゃ、十分だ」
フサギコは、朗らかに微笑んだ。
「全部終わったら、いいとこ連れてってやるよ。
死ぬなんて考えてた自分が、バカバカしくなるくらい、すげぇとこに。
だから生きろ。絶対に、だ」
「……はい……!」
透明な扉が、開かれる。
結合部は錆びていて、扉を重くしていた。
フサギコが手伝うことによって、ようやく、サダコは檻から解放される。
「ん!?」
サダコの肩を抱いて、立ち慣れていない体を支えるフサギコ。
その鼻が、急にひくつきだした。
「食いもん! なんかあんのか!?」
「あ、デスイーター・ユーレムを誘き寄せるために……」
そうか、ここにため込んでいたのか。
だから町中の飲食店が閉まっていたのか。
フサギコは、今更そんなことに気づいた。
「貰うぞ! 腹減って魔力がやべぇ!」
以前、サダコと向かい合っていたフサギコの位置からは、死角。
部屋の片隅に積み上げられた箱には、肉から野菜、果物まで実に様々な食材が詰め込まれていた。
「最初からここ来りゃ良かったのか、くそっ……」
とにかく何かを手に掴み、すぐさまかじるフサギコ。
溢れ出す果汁。柑橘系の果物。
そう、認識した瞬間。
「ッ……!」
来た。
何が、なのかは、フサギコにとって、考えるまでもないことだった。
サダコの全身は、震えている。
それは、恐怖。そして町全体を揺るがすような、地響き。
(逃がす時間は、ねぇな……)
ここには食料が溜め込まれている。
できれば、サダコを遠ざけたいとフサギコは思っていた。
しかし、それももはや厳しい。
「サダコ、外に出るなよ」
「は、はい」
すぐさまサダコの占術屋を飛び出すフサギコ。
瞬間、またも地は揺れ動いた。
かなり、近い。
そう感じたフサギコは、すぐさまフォルダーからカードを取り出す。
(条件さえ整えば、一撃で終わらせられるはずだ……)
手にしたカードは三枚。
そのうちの一枚は、【マグマ・ドール】だが、他の二枚は――――
「うおっ!」
三度目の揺らぎは、辛うじて立っていられた、というほどの規模。
カードを手から零さないために、そして、出現箇所を見極めるために、フサギコは集中力を高める。
四度目。
今度は、地震といってもよかった。
フサギコは、若干の恐怖とともに、そう感じた。
Sカテゴリーに属するモンスター。
酒場の店主やサダコに言うことはなかったが、フサギコにとって、今まで相対したことがない相手だ。
勝てる保証など、本当はどこにもない。
だが、それでも。
フサギコは、二本の足で、そこに立っているのだ。
「……来たな」
近傍の広場の土が、盛り上がる。
地面に亀裂が走る。
その直後には、飛び出してきていた。
数メートルの体長と、その体よりも長い腕。
赤い瞳と緑の鱗、臥するような体勢でフサギコを睨みつけている。
デスイーター・ユーレム。
蜥蜴類に属するが、フサギコには、竜といったほうが適切だろうと思えた。
双眸を光らせ、ゆっくりとフサギコに近づいてくる。
一瞬、フサギコは足が竦んだ。
大見得きって対峙したはいいが、Sカテゴリーのモンスターは、異次元の強さを持しているのだ。
だが、しかし。
モンスター被害を受けている一般人を助けるのは、ワンダー本来の役目だ。
黙って見過ごすことなど、できるはずがなかった。
結局は、自分も親父の子であり、兄貴の弟なのだ。
フサギコは、自虐的にそう思った。
「……Once/Complex/Shock/Scope」
まずは、第一手。
とにかく、敵の動きを封じにかかる。
「【Lv.1 シンバル】発動!」
フサギコを中心として、およそ半径50メートル。
突如、シンバルの音が鳴り響いた。
大音声に驚いたデスイーター・ユーレムは、明らかな混乱を見せた。
フサギコには、はっきりと勝機が見えた。
畳み掛けてやる。
フサギコは、心のなかでそう叫んだ。
「パッケージ! Once/Simple/Down/Scope!
【Lv.2 ノックアウト】!」
重低音を口から漏らし、喚きまわるデスイーター・ユーレム。
その上空から降りてくるのは空気圧。
元より地面を這って移動するデスイーター・ユーレムだが、押し潰されることによって身動きが取れない。
フサギコの狙いは、確実に上手くいっていた。
そのはずだった。
「ッ!!」
大音声による混乱と、圧迫感。
その二つは、確かに動きを封じ込めたが、しかし。
デスイーター・ユーレムは錯乱状態のまま、暴れまわった。
そして、Lv.2のノックアウトから脱したのだ。
「くそっ!!」
目が、完全に獲物を狙うときのそれへと変貌していた。
そして、フサギコが予想だにしなかったことが、ひとつあった。
長大な腕を、振り回すのではなく、高速の移動に使用してきたことだ。
大きく伸ばして、地面を掴み、素早く体を引き寄せる。
一瞬にして、フサギコとの距離を詰めた。
「Eternal/Owner/Deffe……!」
ダメだ、パッケージ指定が間に合わない。
フサギコは、瞬時に頭を切り替えて、素早く跳躍した。
足を払うような、デスイーター・ユーレムの一振り。
長く伸びた腕を振り回すだけの、ただそれだけの攻撃。
しかし、フサギコの背後にあったブリキの看板は、たやすく切り裂かれた。
ただ殴っただけなら、看板は根元から引き抜かれ、潰れて宙を舞ったはずだ。
だが、看板はあくまでその場に佇んでいる。頭の半分を、失った状態で。
まともに喰らえば、間違いなくやられる。
フサギコの全身が汗ばんでいるのは、蒸し暑さのせいではなかった。
(シンバルもノックアウトも、もうない……! どうする……!?)
何を選んでも、博打になる。
フサギコは、分かっていたが、踏み出せずにいた。
失敗した道の先に待っているのは、紛うことなき死だからだ。
化物と戦うことなど、当たり前の職業。
しかしフサギコは、今までそれをほとんど経験してこなかった。
それは、単純に、『死にたくない』という最も人間らしい理由で。
いや、厳密には、死ぬわけにはいかない、と言ったほうが正しい。
(……でももう、やっちまうしかねぇ、か……!)
フサギコは、その手に握り締める。
【マグマ・ドール】を。
かき消されれば、もはや打つ手はない。
しかし、フサギコに残された手も、他にはないのだ。
カードを右手にしたフサギコは、高らかに叫んだ。
「Once/Simple/Control/Hot! 【Lv.1 マグマ・ドール】!」
派手な効果はない。
カードの赤い光はただ、一直線にデスイーター・ユーレムへと翔けてゆく。
直撃。
そして、苦しみだすデスイーター・ユーレム。
全身を熱させることで、体の自由を奪う。
もがき苦しんで上げる咆哮には、フサギコも一瞬、耳を塞ぎそうになった。
しかし、それでも。
それでもデスイーター・ユーレムは、フサギコへと接近してきた。
そして、マグマ・ドールの効力は切れる。
苦しみから解放された瞬間、デスイーター・ユーレムは、激情を爆発させてフサギコに襲いかかった。
大きく後ろへと引いた腕。反動をつけての攻撃。
フサギコは、にやりと笑った。
「隙だらけだぞ、デスイーター・ユーレム」
その、左手に握り締められたカード。
それは、もうひとつの、パッケージ違いの【マグマ・ドール】。
懐に完全な隙を作ったデスイーター・ユーレムを、見据えながら。
パッケージとカード名称を、声高に宣言する。
「Eternal/Simple/Attack/Fire! 【Lv.3 マグマ・ドール】!!」
フサギコの左腕から、立ち上る炎。
それはやがて収束し、人の形を成していく。
左腕から、離れる。
マグマ・ドールはデスイーター・ユーレムへと接近する。
しかし、デスイーター・ユーレムは、カテゴリーSのモンスター。
黙ってマグマ・ドールの接近を許したわけではなかった。
大きく反動をつけた右腕が、マグマ・ドールを狙う。
術者であるフサギコを狙ったところで、この攻撃は回避できないと判断していたのだ。
だが、マグマ・ドールは躍った。
デスイーター・ユーレムの攻撃を、跳躍で軽やかに躱したのだ。
リーチの長い攻撃は、連発できない。
デスイーター・ユーレムの体に、マグマ・ドールの腕が、触れた。
そして、そこに火達磨が生まれた。
再びもがき苦しむデスイーター・ユーレム。
今度は、そう簡単に効力が切れることもない。
燃え盛り、まるでデスイーター・ユーレムが炎の人形のようになっていた。
フサギコは、既に魔力を使い果たしたことで、両の膝を折っている。
だがもう、身を守る必要はない、と確信していた。
長い間、地上よりも温度の低い地中に潜んでいたということは、それだけ熱に慣れていない、ということだ。
Sカテゴリーのモンスターとはいえ、弱点を突かれては一溜まりもない。
やがて、その身を黒く染めたデスイーター・ユーレムの死骸が、広場に転がった。
「……終わった……」
フサギコにとって、苦しい戦いではあった。
過去にSカテゴリーのモンスターを倒したことは一度もなく、Aカテゴリー相手さえ経験は少ない。
死こそ免れたものの、討ち果たすに至らなかったAカテゴリーモンスターもいる。
今回も、博打味は存分にある戦いだった。
それでもデスイーター・ユーレムを倒せたことで、フサギコのなかには言い知れない満足感があった。
「サダコ、終わったぞ」
広場から少し離れた場所に、サダコの店はある。
そちらへ向かって、フサギコは大声で呼びかけた。
恐る恐る、店から顔を出すサダコ。
今まで外に出たことがない、と言っていたからだろうか。
それとも、デスイーター・ユーレムに対する恐怖からだろうか。
どっちでもいいか、と、フサギコは軽く笑った。
その笑みが消えるのは、サダコの表情を確認した直後。
「……違う……」
声と、全身を震わせている。
夜といえど外は蒸し暑い。寒気によるものではない。
サダコは、はっきりと、恐怖を覚えていたのだ。
「……違う? なにがだ、サダコ」
「違う……! これじゃありません!
私が写真で見たデスイーター・ユーレムは、もっと、もっと大きくて……!!」
「なっ……!!」
――――そして、やってくる。
そのときが、やってくる。
その5へ
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名無しさん なん……だと……
名無しさん おおおぉぉぉ……!!
名無しさん 俄然面白くなってまいりました!
名無しさん これはヤバい
名無しさん 面白いなぁ…
名無しさん 面白いぃいい!!
名無しさん サダコ逃げてえええ
名無しさん 早く続きが読みたいです
名無しさん wktkすぎる
まさに獲物を狙う獣の目で、フサギコは町を徘徊しつづけた。
そしてやがて、こじんまりとした何かの店を発見したのだ。
「なんでもいい、なんでもいいから飯を……」
既に空腹は限界近くに達していた。
だからこそ、フサギコには、『占術』という看板などまるで見えていなかったのだ。
「……ん? なんだここ」
ドアを無造作に開けた先には、窓さえない空間。
外光が微かに照らし出す、石造りの床、木製の椅子、壁。
そして、幽暗に浮かぶ、人影。
「……ようこそ」
透明な壁の向こうに座っている。
髪の長い、女だった。
「初めまして」
「あぁ……初めまして、だな」
長い前髪が目元を隠している。
表情を窺えないことに、フサギコは不気味さを覚えていた。
「なんの店だ、ここは。飯屋じゃなさそうだが」
「占術を商いにしています」
「占いか」
フサギコは言葉に嘲笑を込めた。
「曖昧な未来を告げるくらい、俺でもやれると思ってんだがな」
「そうですね、私にできることの多くは、誰にでもできます」
挑発気味のフサギコにも、あくまで女は冷静だった。
無表情なままで、言葉を返していた。
「ですが、私にしかできないことも、あります」
「アンタ、なんて名前だ?」
「サダコ・リジェです」
「で、サダコにしかできないことってのは、なんだ?
もしかして、【千里を見渡す力】があるのか?」
フサギコは、あえて噛み砕いて言った。
シッターとしての力、といえば早いが、理解されない可能性を考慮して、だ。
シッターという職業がこの地域にあるかどうかさえ、フサギコには分からなかった。
「いいえ」
サダコはやはり、無表情を崩さずに否定する。
「残念ながら、そのような力はありません。
もっとも、仮にあったとしても私には気づけません」
「どういう意味だ?」
「私は、生まれてから一度も、ここを出たことがないので」
フサギコは、サダコと向き合うべく、木製の椅子に腰掛けた。
かなり古いものであり、四本の足は即座に悲鳴を上げる。
しかし、フサギコは椅子の足が折れそうかどうかなど、まったく気にしていなかった。
正確には、気にしていられなかったのだ。
「出たことない、だと? 冗談だろ?」
サダコが何歳かは、フサギコには分からない。
顔がほとんど髪で隠されているため、推測も難しかったのだ。
ただし、子供の背丈でないことだけは確かだった。
「いいえ、本当のことです」
「何でだ? 監禁されてんのか?」
「違います。私が、それを望んだのです」
淡々とサダコは物を語る。
しかし、核心には触れようとしない。
フサギコが、そこに違和感を覚えないはずはなかった。
「なんか事情がありそうだな」
「詳しくは、お話できません」
「まぁ、無理に聞き出すつもりもねぇよ」
そうは言ったが、フサギコの視線がサダコから逸れることはなかった。
しかし、聞き出すことはせず、間を置いて言葉を紡ぐ。
「で、ここじゃ何を占ってくれるんだ?」
「あなたの未来を」
「じゃ、占ってくれよ。俺はフィストラトスに登ろうと思ってんだが、無事に越えられるかどうか」
フサギコは、最初と同じように、小馬鹿にした物言いだった。
しかし、サダコは最初と同じような無表情ではない。
「……ん?」
サダコは、口を薄く開けて、呆けていた。
「なんだ、命知らずは死んじまえってか?」
「……いえ……そうではありません」
「じゃあ、なんだ」
フサギコは口調は強まった。
しかし、サダコからの返答はない。
「おい」
「……無事を、お祈りします」
「答えになってねぇよ」
「いつも、そうなのです」
サダコは、やっと先ほどまでの無表情に戻った。
「私は占術などと言っていますが、無事を祈ることしかできないのです」
「なんだそりゃ、占えないってことか? 詐欺じゃねぇか」
「金銭はいただいておりませんから。ただ、無事を祈るだけです」
「なるほどな、それでシスターか」
「えぇ」
バーの店主がシスターと呼称していた女は、サダコだったのだとフサギコは気づいた。
清楚とはお世辞にも言えず、神などという存在がいるとしても、謁見時には門前払いを食らうだろう。
フサギコは、サダコを再び見つめながらそう思った。
「旅のお方が南へ行く際、この町に立ち寄ることが多くあります」
「俺もそうだ。南じゃなくて西だけどな」
「皆さんのお話を聞いて、無事を祈る。
ただそれだけの女です、私は」
本当に、ただそれだけの女だったら。
こんなところに何年も引きこもるはずはないだろう。
フサギコはその思いを、口にはしなかった。
「ここから出たことないんだったら、町のこともさっぱりか?」
「はい」
「そうか、じゃあ飯だの宿だの聞いてもしゃーないな。邪魔した」
「またいつでもいらしてください」
フサギコは、サダコに決して悪い印象を抱いたわけではない。
が、再び会って話したいとも、思わなかった。
その程度の感情を担いだまま、扉を開けて光のなかへと溶け込んでいった。
そして、翌朝。
「おはようございます」
「…………」
やつれた顔でフサギコは、黙ってサダコの前に座る。
「どうなさいました?」
「ふざけんな……なんだこの町は……飯食うとこも寝るとこもねぇじゃねーか……」
昨日、サダコの店を出たときは、ようやく太陽の色が赤らみはじめた頃だった。
それから、星が活動をはじめ、月が暢気に夜空をたゆたうときまで、フサギコは延々町を歩いた。
そして遂に、空腹を満たす店も快眠を提供してくれる宿も見つけることはできなかったのだ。
正確には、存在した。
看板を見る限りでは、確かに飯屋や宿屋だとフサギコは思った店があったのだ。
しかし、扉には頑丈すぎるほど頑丈な鍵がかけられていた。
「昨晩は、どこで過ごされたのですか?」
「町の外れの大木に世話になった。残念ながら果物の類は付けちゃいなかったが……」
「それは、災難でしたね」
くすりと笑ったサダコ。
その笑顔が、思いも寄らぬほど似合っていたことに気づいたフサギコ。
生まれてから一度も切っていないのではないか、と思えるほど長い髪。
その髪でサダコの顔は、大部分が隠されていた。
しかし、口元だけを見れば、フサギコには分かったのだ。
「フサギコさん、職業をお聞きしてもよろしいですか?」
「職業? ワンダーだ」
「ワンダー……とは?」
そうか、それさえ知らないのか。
長らくここで過ごし、外界と接していないならば、致し方ないのだろうか。
フサギコは、曖昧な思案を振り払った。
「ワンダーってのはな、カードを介して魔法を使う人間のことだ」
「魔法……ですか?」
「魔法すら分かんねぇのか?」
「いえ、分かります。分かりますが、使えると仰る方を、初めて見たもので……」
「まぁ、世界的にも多くはないな。才能がなきゃ使えない」
「才能、ですか」
「あぁ、千里を見渡せる力だ」
サダコは、少しだけだが、身を乗り出して聞いていた。
「大仰な名だが、要するに人より目がいいってことだ」
「それがあると、魔法が使えるのですか?」
「素質がある、と言われる。目が良ければ良いほど」
「では、先日私に、その千里眼のことを聞いたのは?
ワンダーを探していたということですか?」
「ワンダーは男だ。女は、同じ目を持っててもシッターになる」
「シッターとは?」
「同じくカードが使える人間なんだが、ワンダーの力がないと何もできない。
ワンダーが仲介役になることで初めて、カードが使える。
でも、シッターにしか使えないカードってのがあるんだ。
俺のフォルダーのなかだと、【Lv.2 シャイニング・レイ】とか【Lv.1 カレンデュラ】とか……。
シッターは一人じゃカードを使えない、って点でワンダーに劣るが、需要は高い」
「では、フィストラトスに登るために、シッターが必要ということですか?」
「そういうことさ。大抵の町じゃ、必要に応じてワンダーを助ける『雇われシッター』がいるんだがな」
「シッターに使ってもらいたいカードとは、いったいなんなのでしょう?」
「Lv.2の【ノックアップ】。単に浮くだけのカードだが、これでフィストラトスも楽勝だ」
「では、他にご自分で登る術は、ないのですか?」
「ん……あるんだが、使いたくねぇんだ。大事なカードだからな」
フサギコは、理由を語ろうとしなかった。
サダコも自分のことを語らない、だからいいだろう、とフサギコは漠然と考えていたのだ。
もっとも、サダコも理由を求めてくることはない。
「……いっぱい喋ったら、また腹減ってきた……」
「あ、そういえばそうでしたね」
「サダコ、あんたシスターならなんか恵んでくれ……死ぬかもしれん……」
「残念ですが、なにもお渡しできません。申し訳ありません」
「なんだそれ、くそー……最低の町だな、ここは……」
「そうですね、今は」
含みのある言い方を、フサギコは無論、聞き逃さなかった。
しかし、追求するような体力さえ、今はないのだ。
「また、しばらくしてから来てください。
本当は、笑い声が絶えないような、明るい町なんです」
「どーでもいい……明日には出てく……」
「明日ではなくて、今日、出立してください」
フサギコは項垂れていたが、視線だけをサダコに向けた。
そして、強い言葉を放った唇を見つめる。
「明日では、遅いのです」
「……なんだそりゃ。俺の勝手だろ」
「ダメです、ダメなんです」
「理由のねぇ強制に従う馬鹿がいると思うか?」
「それは……」
サダコは口を噤む。
どうあっても理由を言うつもりはないらしい、とフサギコは感じた。
多くを語ろうとしない。
だから、この女のことが何も分からないのだ。
フサギコは、苛立ちを感じていたが、それを露わにすることはなかった。
「……なぁ」
「はい」
「あんた、なんで髪で顔を隠してんだ?」
漆の塗られたような黒髪。
顎先まで伸び、口元以外をすべて隠している。
自分の顔さえ見えていないのではないか、とフサギコは思っていた。
「それも言えない、か?」
「いえ……これは、人の顔を、見ないようにするためです」
サダコの占術屋は、どこから発されているのか分からない、微弱な光があるのみだ。
例えサダコの髪が短かったところで、フサギコにはサダコの表情を窺い知ることなどできない。
「そのため、とは思わなかったな。なんでだ?」
「人は誰しもが、別れを経験しますから」
「顔を見ちまうと、別れが辛い、か?」
「はい」
「くだらねぇ理由だな」
フサギコは、心の底からそう思った。
「そう思われても、致し方ないことです。
しかし、私はこれをやめるわけにはいきません」
「死ぬまで、か?」
「はい」
「……近いのか?」
何が、なのかは、付け加えなかった。
それでも、フサギコの言葉は、サダコに伝わっていたのだ。
「……言えません、それは」
サダコは、最後まで何も語ろうとはしなかった。
しかし、フサギコのなかでは、ひとつの答えを得られていた。
サダコの店から出たあと、フサギコは、町で最初に立ち寄った酒場に向かった。
この町で、唯一情報らしい情報をフサギコにくれたのは、あの店だけだったからだ。
(……サダコは……)
何が起きるのか、分からない。
しかし、何かが起きる。
それに、深く関係しているのだ。
サダコ・リジェは。
場合によっては、無関係なこととは言えないかもしれない。
ワンダーとしての本懐を、遂げるべきときである可能性も、あるにはあるのだ。
「……ん?」
閑散として、昨日より更に、人気のなくなった町。
夏の熱気もどこかへ逃げてしまったかのように、寒々としている。
そこに響き渡る、矯声。
「……もしかして、こいつか?」
町の人間が、怯えるように身を隠している理由。
サダコの悲愴感。
それらの理由は、こいつだろうか。
フサギコは、カードを手にしながら空を見上げていた。
怪鳥、スタリック。
『モンスター指定』を受けている、獰猛で、巨大な鷲だった。
(なるほど、こいつなら……)
一般人をたやすく殺せる。
そして、餌を得ればすぐに飛び去るだろう。
サダコは、生け贄の可能性があった。
「……久々だな、モンスター相手は……」
フサギコがフォルダーから抜き出したカード。
【スリースターズ】。
最高ランクである、Lv.3。
高々と掲げて、フサギコはパッケージとカード名称を唱える。
「Eternal/Complex/Attack/Air 【Lv.3 スリースターズ】発動!」
カードが三色の光を発する。
スタリックが目を奪われている間に、天高くへと。
そして、やがて光は三つの筋にまとまった。
まず、赤の光がスタリックを覆う。
そして、青の光がスタリックの体を、貫く。
最後に、緑の光が、雷のように降り注いで、スタリックを消滅させた。
「……あっさり終わっちまった。スタリック程度に使うカードじゃなかったな」
疲労感を隠さない表情で、フサギコはカードをフォルダーに収めた。
彼が持する幾十ものカードのなかで、最強であるスリースターズLv.3。
スタリックが何もできずに討たれるのも、当然のことだった。
できれば、こういうことには関わりたくなかった。
それが、フサギコの本音だった。
しかし、スタリックを討った今は、それも気にする必要はない。
「酒場のおっさんに報告するか。もうモンスターはいねぇぞってな」
やや上向いた機嫌のまま歩くフサギコの足取りは軽い。
自覚はしていなくとも、町の静寂やサダコの悲愴な顔つきは、フサギコの熱を冷ましていたのだ。
しかし、その熱は再び奪われることになる。
その4へ
そしてやがて、こじんまりとした何かの店を発見したのだ。
「なんでもいい、なんでもいいから飯を……」
既に空腹は限界近くに達していた。
だからこそ、フサギコには、『占術』という看板などまるで見えていなかったのだ。
「……ん? なんだここ」
ドアを無造作に開けた先には、窓さえない空間。
外光が微かに照らし出す、石造りの床、木製の椅子、壁。
そして、幽暗に浮かぶ、人影。
「……ようこそ」
透明な壁の向こうに座っている。
髪の長い、女だった。
「初めまして」
「あぁ……初めまして、だな」
長い前髪が目元を隠している。
表情を窺えないことに、フサギコは不気味さを覚えていた。
「なんの店だ、ここは。飯屋じゃなさそうだが」
「占術を商いにしています」
「占いか」
フサギコは言葉に嘲笑を込めた。
「曖昧な未来を告げるくらい、俺でもやれると思ってんだがな」
「そうですね、私にできることの多くは、誰にでもできます」
挑発気味のフサギコにも、あくまで女は冷静だった。
無表情なままで、言葉を返していた。
「ですが、私にしかできないことも、あります」
「アンタ、なんて名前だ?」
「サダコ・リジェです」
「で、サダコにしかできないことってのは、なんだ?
もしかして、【千里を見渡す力】があるのか?」
フサギコは、あえて噛み砕いて言った。
シッターとしての力、といえば早いが、理解されない可能性を考慮して、だ。
シッターという職業がこの地域にあるかどうかさえ、フサギコには分からなかった。
「いいえ」
サダコはやはり、無表情を崩さずに否定する。
「残念ながら、そのような力はありません。
もっとも、仮にあったとしても私には気づけません」
「どういう意味だ?」
「私は、生まれてから一度も、ここを出たことがないので」
フサギコは、サダコと向き合うべく、木製の椅子に腰掛けた。
かなり古いものであり、四本の足は即座に悲鳴を上げる。
しかし、フサギコは椅子の足が折れそうかどうかなど、まったく気にしていなかった。
正確には、気にしていられなかったのだ。
「出たことない、だと? 冗談だろ?」
サダコが何歳かは、フサギコには分からない。
顔がほとんど髪で隠されているため、推測も難しかったのだ。
ただし、子供の背丈でないことだけは確かだった。
「いいえ、本当のことです」
「何でだ? 監禁されてんのか?」
「違います。私が、それを望んだのです」
淡々とサダコは物を語る。
しかし、核心には触れようとしない。
フサギコが、そこに違和感を覚えないはずはなかった。
「なんか事情がありそうだな」
「詳しくは、お話できません」
「まぁ、無理に聞き出すつもりもねぇよ」
そうは言ったが、フサギコの視線がサダコから逸れることはなかった。
しかし、聞き出すことはせず、間を置いて言葉を紡ぐ。
「で、ここじゃ何を占ってくれるんだ?」
「あなたの未来を」
「じゃ、占ってくれよ。俺はフィストラトスに登ろうと思ってんだが、無事に越えられるかどうか」
フサギコは、最初と同じように、小馬鹿にした物言いだった。
しかし、サダコは最初と同じような無表情ではない。
「……ん?」
サダコは、口を薄く開けて、呆けていた。
「なんだ、命知らずは死んじまえってか?」
「……いえ……そうではありません」
「じゃあ、なんだ」
フサギコは口調は強まった。
しかし、サダコからの返答はない。
「おい」
「……無事を、お祈りします」
「答えになってねぇよ」
「いつも、そうなのです」
サダコは、やっと先ほどまでの無表情に戻った。
「私は占術などと言っていますが、無事を祈ることしかできないのです」
「なんだそりゃ、占えないってことか? 詐欺じゃねぇか」
「金銭はいただいておりませんから。ただ、無事を祈るだけです」
「なるほどな、それでシスターか」
「えぇ」
バーの店主がシスターと呼称していた女は、サダコだったのだとフサギコは気づいた。
清楚とはお世辞にも言えず、神などという存在がいるとしても、謁見時には門前払いを食らうだろう。
フサギコは、サダコを再び見つめながらそう思った。
「旅のお方が南へ行く際、この町に立ち寄ることが多くあります」
「俺もそうだ。南じゃなくて西だけどな」
「皆さんのお話を聞いて、無事を祈る。
ただそれだけの女です、私は」
本当に、ただそれだけの女だったら。
こんなところに何年も引きこもるはずはないだろう。
フサギコはその思いを、口にはしなかった。
「ここから出たことないんだったら、町のこともさっぱりか?」
「はい」
「そうか、じゃあ飯だの宿だの聞いてもしゃーないな。邪魔した」
「またいつでもいらしてください」
フサギコは、サダコに決して悪い印象を抱いたわけではない。
が、再び会って話したいとも、思わなかった。
その程度の感情を担いだまま、扉を開けて光のなかへと溶け込んでいった。
そして、翌朝。
「おはようございます」
「…………」
やつれた顔でフサギコは、黙ってサダコの前に座る。
「どうなさいました?」
「ふざけんな……なんだこの町は……飯食うとこも寝るとこもねぇじゃねーか……」
昨日、サダコの店を出たときは、ようやく太陽の色が赤らみはじめた頃だった。
それから、星が活動をはじめ、月が暢気に夜空をたゆたうときまで、フサギコは延々町を歩いた。
そして遂に、空腹を満たす店も快眠を提供してくれる宿も見つけることはできなかったのだ。
正確には、存在した。
看板を見る限りでは、確かに飯屋や宿屋だとフサギコは思った店があったのだ。
しかし、扉には頑丈すぎるほど頑丈な鍵がかけられていた。
「昨晩は、どこで過ごされたのですか?」
「町の外れの大木に世話になった。残念ながら果物の類は付けちゃいなかったが……」
「それは、災難でしたね」
くすりと笑ったサダコ。
その笑顔が、思いも寄らぬほど似合っていたことに気づいたフサギコ。
生まれてから一度も切っていないのではないか、と思えるほど長い髪。
その髪でサダコの顔は、大部分が隠されていた。
しかし、口元だけを見れば、フサギコには分かったのだ。
「フサギコさん、職業をお聞きしてもよろしいですか?」
「職業? ワンダーだ」
「ワンダー……とは?」
そうか、それさえ知らないのか。
長らくここで過ごし、外界と接していないならば、致し方ないのだろうか。
フサギコは、曖昧な思案を振り払った。
「ワンダーってのはな、カードを介して魔法を使う人間のことだ」
「魔法……ですか?」
「魔法すら分かんねぇのか?」
「いえ、分かります。分かりますが、使えると仰る方を、初めて見たもので……」
「まぁ、世界的にも多くはないな。才能がなきゃ使えない」
「才能、ですか」
「あぁ、千里を見渡せる力だ」
サダコは、少しだけだが、身を乗り出して聞いていた。
「大仰な名だが、要するに人より目がいいってことだ」
「それがあると、魔法が使えるのですか?」
「素質がある、と言われる。目が良ければ良いほど」
「では、先日私に、その千里眼のことを聞いたのは?
ワンダーを探していたということですか?」
「ワンダーは男だ。女は、同じ目を持っててもシッターになる」
「シッターとは?」
「同じくカードが使える人間なんだが、ワンダーの力がないと何もできない。
ワンダーが仲介役になることで初めて、カードが使える。
でも、シッターにしか使えないカードってのがあるんだ。
俺のフォルダーのなかだと、【Lv.2 シャイニング・レイ】とか【Lv.1 カレンデュラ】とか……。
シッターは一人じゃカードを使えない、って点でワンダーに劣るが、需要は高い」
「では、フィストラトスに登るために、シッターが必要ということですか?」
「そういうことさ。大抵の町じゃ、必要に応じてワンダーを助ける『雇われシッター』がいるんだがな」
「シッターに使ってもらいたいカードとは、いったいなんなのでしょう?」
「Lv.2の【ノックアップ】。単に浮くだけのカードだが、これでフィストラトスも楽勝だ」
「では、他にご自分で登る術は、ないのですか?」
「ん……あるんだが、使いたくねぇんだ。大事なカードだからな」
フサギコは、理由を語ろうとしなかった。
サダコも自分のことを語らない、だからいいだろう、とフサギコは漠然と考えていたのだ。
もっとも、サダコも理由を求めてくることはない。
「……いっぱい喋ったら、また腹減ってきた……」
「あ、そういえばそうでしたね」
「サダコ、あんたシスターならなんか恵んでくれ……死ぬかもしれん……」
「残念ですが、なにもお渡しできません。申し訳ありません」
「なんだそれ、くそー……最低の町だな、ここは……」
「そうですね、今は」
含みのある言い方を、フサギコは無論、聞き逃さなかった。
しかし、追求するような体力さえ、今はないのだ。
「また、しばらくしてから来てください。
本当は、笑い声が絶えないような、明るい町なんです」
「どーでもいい……明日には出てく……」
「明日ではなくて、今日、出立してください」
フサギコは項垂れていたが、視線だけをサダコに向けた。
そして、強い言葉を放った唇を見つめる。
「明日では、遅いのです」
「……なんだそりゃ。俺の勝手だろ」
「ダメです、ダメなんです」
「理由のねぇ強制に従う馬鹿がいると思うか?」
「それは……」
サダコは口を噤む。
どうあっても理由を言うつもりはないらしい、とフサギコは感じた。
多くを語ろうとしない。
だから、この女のことが何も分からないのだ。
フサギコは、苛立ちを感じていたが、それを露わにすることはなかった。
「……なぁ」
「はい」
「あんた、なんで髪で顔を隠してんだ?」
漆の塗られたような黒髪。
顎先まで伸び、口元以外をすべて隠している。
自分の顔さえ見えていないのではないか、とフサギコは思っていた。
「それも言えない、か?」
「いえ……これは、人の顔を、見ないようにするためです」
サダコの占術屋は、どこから発されているのか分からない、微弱な光があるのみだ。
例えサダコの髪が短かったところで、フサギコにはサダコの表情を窺い知ることなどできない。
「そのため、とは思わなかったな。なんでだ?」
「人は誰しもが、別れを経験しますから」
「顔を見ちまうと、別れが辛い、か?」
「はい」
「くだらねぇ理由だな」
フサギコは、心の底からそう思った。
「そう思われても、致し方ないことです。
しかし、私はこれをやめるわけにはいきません」
「死ぬまで、か?」
「はい」
「……近いのか?」
何が、なのかは、付け加えなかった。
それでも、フサギコの言葉は、サダコに伝わっていたのだ。
「……言えません、それは」
サダコは、最後まで何も語ろうとはしなかった。
しかし、フサギコのなかでは、ひとつの答えを得られていた。
サダコの店から出たあと、フサギコは、町で最初に立ち寄った酒場に向かった。
この町で、唯一情報らしい情報をフサギコにくれたのは、あの店だけだったからだ。
(……サダコは……)
何が起きるのか、分からない。
しかし、何かが起きる。
それに、深く関係しているのだ。
サダコ・リジェは。
場合によっては、無関係なこととは言えないかもしれない。
ワンダーとしての本懐を、遂げるべきときである可能性も、あるにはあるのだ。
「……ん?」
閑散として、昨日より更に、人気のなくなった町。
夏の熱気もどこかへ逃げてしまったかのように、寒々としている。
そこに響き渡る、矯声。
「……もしかして、こいつか?」
町の人間が、怯えるように身を隠している理由。
サダコの悲愴感。
それらの理由は、こいつだろうか。
フサギコは、カードを手にしながら空を見上げていた。
怪鳥、スタリック。
『モンスター指定』を受けている、獰猛で、巨大な鷲だった。
(なるほど、こいつなら……)
一般人をたやすく殺せる。
そして、餌を得ればすぐに飛び去るだろう。
サダコは、生け贄の可能性があった。
「……久々だな、モンスター相手は……」
フサギコがフォルダーから抜き出したカード。
【スリースターズ】。
最高ランクである、Lv.3。
高々と掲げて、フサギコはパッケージとカード名称を唱える。
「Eternal/Complex/Attack/Air 【Lv.3 スリースターズ】発動!」
カードが三色の光を発する。
スタリックが目を奪われている間に、天高くへと。
そして、やがて光は三つの筋にまとまった。
まず、赤の光がスタリックを覆う。
そして、青の光がスタリックの体を、貫く。
最後に、緑の光が、雷のように降り注いで、スタリックを消滅させた。
「……あっさり終わっちまった。スタリック程度に使うカードじゃなかったな」
疲労感を隠さない表情で、フサギコはカードをフォルダーに収めた。
彼が持する幾十ものカードのなかで、最強であるスリースターズLv.3。
スタリックが何もできずに討たれるのも、当然のことだった。
できれば、こういうことには関わりたくなかった。
それが、フサギコの本音だった。
しかし、スタリックを討った今は、それも気にする必要はない。
「酒場のおっさんに報告するか。もうモンスターはいねぇぞってな」
やや上向いた機嫌のまま歩くフサギコの足取りは軽い。
自覚はしていなくとも、町の静寂やサダコの悲愴な顔つきは、フサギコの熱を冷ましていたのだ。
しかし、その熱は再び奪われることになる。
その4へ
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名無しさん 大魔法キター
名無しさん なんという伏線の嵐
これは間違いなく長編
名無しさん M0か。そういえば好きみたいな事言ってたね。
名無しさん 面白くなってきた(*・ω・)wktk
名無しさん 程よい緊張感だ
それからおよそ十日後。
男は死に物狂いで荒野を越え、ようやくカシアスに到達した。
「おぉ……麗しのカシアスよ……今なら君と結婚できるぜ……」
町に対して求婚する男は、まず酒場に向かった。
皆が昼食を取るであろう時間はとうに過ぎており、しかし夕食を取るような時間でもない。
酒場は、コップを置く音さえ響きわたりそうなほど、閑散としていた。
だが、店主は忙しく動き回っており、夜の客のために準備を整えているのだろう、と男は思った。
「準備中か?」
男の声でようやく、店主は振り返った。
頭頂は禿げかかっているが、髭や体毛は濃い。
「あぁ、すみません。気づきませんで」
「いや、いいんだ」
「営業中ですが、今はお出しできるものがありませんでね」
「それもいいんだ。水と、情報さえくれれば」
「……ほう」
カウンター席に荷物を置き、その隣に男は腰掛けた。
店主は樽から水を汲んで、少々手荒く透明なコップを男に差し出す。
コップの縁は薄ら汚れていた。
「酒場で情報を求めるのは、ハンターか、クエスターか」
「もしくはワンダー、って言いてぇんだろ」
店主は、不思議な笑みを浮かべていた。
フサギコの言葉に、呼応しているのかどうか、誰にも分からないような。
「ワンダーですかい……お客さん」
「まぁ、滅多にワンダーらしい仕事はしねぇんだけどな」
「しかし、ワンダーにしては随分、スマートじゃねぇ格好ですなぁ。髪もボサボサで」
「マグネットでこの町に来ようとしたら、前の町に戻されちまったんだよ。
しばらくまともな生活してねぇから、こんな身なりになっちまってんだ。
しかし、もったいねぇことした……最後のマグネットだったのに」
「そりゃあ災難で。Lv.1ですかい?」
「Lv.2以上なら前の町に戻されるわけねぇだろ。方角を指定できるからな。
いや、実はLv.2を持ってんだが、諸事情で使えねぇんだ」
「最近距離にいる人の元へ飛ぶ――――それだけじゃあ、前の町に戻されても仕方ねぇこって」
「この町のほうが近いと思ったから使ったんだが、大誤算さ。もう思い出したくねぇな」
「それで、ワンダーがこんなとこに何の用ですかい。
ここにゃあハイレベルカードなんてありゃしませんぜ」
「カードそのものは求めちゃいねぇよ。ここにゃあワンダーさえ一人もいねぇだろう」
「仰るとおりで。ワンダー崩れみたいなやつが居る程度でさぁ」
「俺はフィストラトスに登りてぇんだ」
男はコップを手に取り、傾けると、一気に水を飲み干した。
しかし、空の容器に店主が水を注ぐことはない。
男の言葉に呆然としてしまっているからだった。
「この町の西にあるだろ、あのバカでかい山だ」
「本気……なんですかい?」
「自殺志願者を見るような目だな」
「……まぁ、そりゃそうです」
店主は、考えごとの間を欲するかのように、ゆっくりとコップに水を注いだ。
「しかし……何のために?」
「秘密だ。あんまり語りたくねぇ」
「……おひとりで、ですかい?」
「いいや」
男はまたも、コップの中身をすぐさま空にする。
「シッターを探してる。この町では、それが目的だ。
シッターがいなきゃ、フィストラトスに登んのなんか到底ムリだしな」
「……シッター」
「あぁ、知ってたら教えてくれねぇか?
雇われシッターの一人くれぇ、いるんじゃねぇかと思ってんだが」
「いや、この町にはシッターなんぞ居やしませんね」
店主は、男から目を逸らしながら、ぴしゃりとそう言った。
まるで、半ば焦っているかのように。
「……いねぇのか?」
「居ません」
男の確認も店主は突っぱねる。
時折、目を伏せながら。
「……そうか、残念だな」
肩を竦めるような仕草を男は見せた。
空になったコップを弄びながら。
「……あぁ、でも」
「ん?」
「シスターなら、います」
店主は、やはり思案顔を崩さなかった。
「シスター? シッターじゃなくて、か?」
「えぇ」
「一字違いでえらい違いだぜ。俺は人にモノをやるのが嫌いなんだ。
祈りだって、神になんか捧げるつもりはねぇぜ」
「この町のシスターは、神になんぞ仕えちゃいませんぜ」
店主は、吐き捨てるように言った。
「そうなのか? じゃあ、何に仕えてんだ」
「神なんか、いるわけねぇんです」
店主は、答えにならない答えを出した。
半ば、独り言のように。
「……まぁ、なんでもいい。情報ありがとな、助かった」
「もう、行かれるんですかい?」
「あぁ、邪魔したな」
「じゃあ、最後に」
「ん?」
「最後に、名前を教えてくださいませんかね」
またも、呟きのような声。
店主はやはり、最後まで、晴れやかでない顔だった。
「フサギコ。フサギコ・ティレルだ」
いくらかの金銭をカウンターに置いて、フサギコは店主に背を向けた。
バーから出たフサギコは、しばらく当て所なく町を歩いていた。
煉瓦作りの家が建ち並ぶ道には、人の姿が極端に少ない。
市場は別のところだろうか、とフサギコは考えたが、しかし。
「……声もしねぇな」
町はさほど広くない。
フサギコがゆっくり歩いても、三時間あれば一周できる程度だ。
市場に人が集まっていれば、町のどこでも声は聞こえる。
「腹減ってきたんだけどな……どうすっかな……」
「……それにしても、ひっそりしてんなぁ……」
ひとりでに音が鳴る腹をさすりながら、フサギコは周囲を見回した。
家のなかに人の気配を薄ら感じ取ることはできていた。
(……みんなで家に隠れてんのか? んなまさかなぁ……)
「町を襲う賊でもいるのかもな、ははは」
空腹で笑い声にも力が入らない。
そんな自分を空しく感じながら、フサギコは飯屋を探しつづけた。
無論、フサギコは知る由もない。
この町を覆っているのは、恐怖などではなく、それよりも遥かに、重苦しいもの。
いわゆる、諦念だということを。
その3へ
男は死に物狂いで荒野を越え、ようやくカシアスに到達した。
「おぉ……麗しのカシアスよ……今なら君と結婚できるぜ……」
町に対して求婚する男は、まず酒場に向かった。
皆が昼食を取るであろう時間はとうに過ぎており、しかし夕食を取るような時間でもない。
酒場は、コップを置く音さえ響きわたりそうなほど、閑散としていた。
だが、店主は忙しく動き回っており、夜の客のために準備を整えているのだろう、と男は思った。
「準備中か?」
男の声でようやく、店主は振り返った。
頭頂は禿げかかっているが、髭や体毛は濃い。
「あぁ、すみません。気づきませんで」
「いや、いいんだ」
「営業中ですが、今はお出しできるものがありませんでね」
「それもいいんだ。水と、情報さえくれれば」
「……ほう」
カウンター席に荷物を置き、その隣に男は腰掛けた。
店主は樽から水を汲んで、少々手荒く透明なコップを男に差し出す。
コップの縁は薄ら汚れていた。
「酒場で情報を求めるのは、ハンターか、クエスターか」
「もしくはワンダー、って言いてぇんだろ」
店主は、不思議な笑みを浮かべていた。
フサギコの言葉に、呼応しているのかどうか、誰にも分からないような。
「ワンダーですかい……お客さん」
「まぁ、滅多にワンダーらしい仕事はしねぇんだけどな」
「しかし、ワンダーにしては随分、スマートじゃねぇ格好ですなぁ。髪もボサボサで」
「マグネットでこの町に来ようとしたら、前の町に戻されちまったんだよ。
しばらくまともな生活してねぇから、こんな身なりになっちまってんだ。
しかし、もったいねぇことした……最後のマグネットだったのに」
「そりゃあ災難で。Lv.1ですかい?」
「Lv.2以上なら前の町に戻されるわけねぇだろ。方角を指定できるからな。
いや、実はLv.2を持ってんだが、諸事情で使えねぇんだ」
「最近距離にいる人の元へ飛ぶ――――それだけじゃあ、前の町に戻されても仕方ねぇこって」
「この町のほうが近いと思ったから使ったんだが、大誤算さ。もう思い出したくねぇな」
「それで、ワンダーがこんなとこに何の用ですかい。
ここにゃあハイレベルカードなんてありゃしませんぜ」
「カードそのものは求めちゃいねぇよ。ここにゃあワンダーさえ一人もいねぇだろう」
「仰るとおりで。ワンダー崩れみたいなやつが居る程度でさぁ」
「俺はフィストラトスに登りてぇんだ」
男はコップを手に取り、傾けると、一気に水を飲み干した。
しかし、空の容器に店主が水を注ぐことはない。
男の言葉に呆然としてしまっているからだった。
「この町の西にあるだろ、あのバカでかい山だ」
「本気……なんですかい?」
「自殺志願者を見るような目だな」
「……まぁ、そりゃそうです」
店主は、考えごとの間を欲するかのように、ゆっくりとコップに水を注いだ。
「しかし……何のために?」
「秘密だ。あんまり語りたくねぇ」
「……おひとりで、ですかい?」
「いいや」
男はまたも、コップの中身をすぐさま空にする。
「シッターを探してる。この町では、それが目的だ。
シッターがいなきゃ、フィストラトスに登んのなんか到底ムリだしな」
「……シッター」
「あぁ、知ってたら教えてくれねぇか?
雇われシッターの一人くれぇ、いるんじゃねぇかと思ってんだが」
「いや、この町にはシッターなんぞ居やしませんね」
店主は、男から目を逸らしながら、ぴしゃりとそう言った。
まるで、半ば焦っているかのように。
「……いねぇのか?」
「居ません」
男の確認も店主は突っぱねる。
時折、目を伏せながら。
「……そうか、残念だな」
肩を竦めるような仕草を男は見せた。
空になったコップを弄びながら。
「……あぁ、でも」
「ん?」
「シスターなら、います」
店主は、やはり思案顔を崩さなかった。
「シスター? シッターじゃなくて、か?」
「えぇ」
「一字違いでえらい違いだぜ。俺は人にモノをやるのが嫌いなんだ。
祈りだって、神になんか捧げるつもりはねぇぜ」
「この町のシスターは、神になんぞ仕えちゃいませんぜ」
店主は、吐き捨てるように言った。
「そうなのか? じゃあ、何に仕えてんだ」
「神なんか、いるわけねぇんです」
店主は、答えにならない答えを出した。
半ば、独り言のように。
「……まぁ、なんでもいい。情報ありがとな、助かった」
「もう、行かれるんですかい?」
「あぁ、邪魔したな」
「じゃあ、最後に」
「ん?」
「最後に、名前を教えてくださいませんかね」
またも、呟きのような声。
店主はやはり、最後まで、晴れやかでない顔だった。
「フサギコ。フサギコ・ティレルだ」
いくらかの金銭をカウンターに置いて、フサギコは店主に背を向けた。
バーから出たフサギコは、しばらく当て所なく町を歩いていた。
煉瓦作りの家が建ち並ぶ道には、人の姿が極端に少ない。
市場は別のところだろうか、とフサギコは考えたが、しかし。
「……声もしねぇな」
町はさほど広くない。
フサギコがゆっくり歩いても、三時間あれば一周できる程度だ。
市場に人が集まっていれば、町のどこでも声は聞こえる。
「腹減ってきたんだけどな……どうすっかな……」
「……それにしても、ひっそりしてんなぁ……」
ひとりでに音が鳴る腹をさすりながら、フサギコは周囲を見回した。
家のなかに人の気配を薄ら感じ取ることはできていた。
(……みんなで家に隠れてんのか? んなまさかなぁ……)
「町を襲う賊でもいるのかもな、ははは」
空腹で笑い声にも力が入らない。
そんな自分を空しく感じながら、フサギコは飯屋を探しつづけた。
無論、フサギコは知る由もない。
この町を覆っているのは、恐怖などではなく、それよりも遥かに、重苦しいもの。
いわゆる、諦念だということを。
その3へ
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名無しさん なんか初期の頃のブーン系っぽいな。
前に言ってた誰もやってないだろう形式ってやつ?
AAなしでブーン系?
名無しさん 最近距離より最短距離のほうがいいのでは
名無しさん ・シリアルキラーでAAなしはやられてる
・最短距離より最近距離のほうがしっくりくるような気がする
シスター…聖職者…オランダ妻?
名無しさん AAなしは作者もドクオ策略で既にやってるよね
誰もやってないだろう形式は別の話っぽい
でも何となく新鮮な感じがする
名無しさん wktkが止まらん
「あー」
「あーあーあー」
「ああぁぁぁー……」
「……暑い……」
いやに長い髪を、うっとうしいと言わんばかりに束ねる男。
岩場の陰で直射日光は届かないものの、男は全身に汗の粒を浮かべていた。
「なんなんだココは……ほとんど砂漠じゃねぇか……」
「カシアスはどこにあるんだ……」
譫言を漏らすに至るほど、男は疲労困憊だった。
もう四日ほど、まともに睡眠を取っておらず、食料も底を尽きかけている。
そして、命の次に大事な、魔力さえ。
「……景色だけなら悪くないんだけどな……」
丘に登ってもまだ、地平線は絶えない。
渺茫たる荒野。
疲労さえなければ、男は情景に浸ることもしただろう。
しかし今は、茹だるような暑さに降伏するが如く、地面にへばりつくしかなかった。
「……しゃーねぇ」
男は観念したような表情で、しかし、すくっと立ち上がった。
「マグネット……やってみるか」
腰を探り、ズボンに付けられた小さい箱を開く。
複数枚のカードが収められたそれから、一枚のカードを取り出した。
そのカードには、大きな文字でこう書かれている。
【Lv.1 マグネット】と。
「頼むからカシアスに行ってくれー……ゼノンに戻らないでくれよー……」
「……パッケージ、Once/Plural/Move/Dependence」
カードが、下部から徐々に発光していく。
そしてやがて、カード全体が光に包まれたとき、男はゆっくり目を開いた。
「【Lv.1 マグネット】……発動!」
男の体は、正に磁石に引き寄せられる砂鉄の如く、その場から飛び去る。
岩場の上空を翔け、川を越えて、荒野の果てへと突き進む。
もっとも、当事者である男は、カードを発動させているため何も意識できない。
やがて、無様な格好で着地する。
数歩ほど離れた位置に立つ妙齢の女性は、喫驚の面持ちで男から距離を取った。
男はすぐさま起きあがり、確認する。
町の入り口。
旅人を迎える大きな看板に書かれていたのは――――
『ようこそ歓楽の町ゼノンへ!』
「…………」
「あああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!」
【その眼に映る、行方知れずの天壌無窮】
その2へ
「あーあーあー」
「ああぁぁぁー……」
「……暑い……」
いやに長い髪を、うっとうしいと言わんばかりに束ねる男。
岩場の陰で直射日光は届かないものの、男は全身に汗の粒を浮かべていた。
「なんなんだココは……ほとんど砂漠じゃねぇか……」
「カシアスはどこにあるんだ……」
譫言を漏らすに至るほど、男は疲労困憊だった。
もう四日ほど、まともに睡眠を取っておらず、食料も底を尽きかけている。
そして、命の次に大事な、魔力さえ。
「……景色だけなら悪くないんだけどな……」
丘に登ってもまだ、地平線は絶えない。
渺茫たる荒野。
疲労さえなければ、男は情景に浸ることもしただろう。
しかし今は、茹だるような暑さに降伏するが如く、地面にへばりつくしかなかった。
「……しゃーねぇ」
男は観念したような表情で、しかし、すくっと立ち上がった。
「マグネット……やってみるか」
腰を探り、ズボンに付けられた小さい箱を開く。
複数枚のカードが収められたそれから、一枚のカードを取り出した。
そのカードには、大きな文字でこう書かれている。
【Lv.1 マグネット】と。
「頼むからカシアスに行ってくれー……ゼノンに戻らないでくれよー……」
「……パッケージ、Once/Plural/Move/Dependence」
カードが、下部から徐々に発光していく。
そしてやがて、カード全体が光に包まれたとき、男はゆっくり目を開いた。
「【Lv.1 マグネット】……発動!」
男の体は、正に磁石に引き寄せられる砂鉄の如く、その場から飛び去る。
岩場の上空を翔け、川を越えて、荒野の果てへと突き進む。
もっとも、当事者である男は、カードを発動させているため何も意識できない。
やがて、無様な格好で着地する。
数歩ほど離れた位置に立つ妙齢の女性は、喫驚の面持ちで男から距離を取った。
男はすぐさま起きあがり、確認する。
町の入り口。
旅人を迎える大きな看板に書かれていたのは――――
『ようこそ歓楽の町ゼノンへ!』
「…………」
「あああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!」
【その眼に映る、行方知れずの天壌無窮】
その2へ
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名無しさん ファンタジーなのか!
これは期待
名無しさん 貞子……?
名無しさん おお貞子祭りか、期待
名無しさん 魔法モノは予想外だ
名無しさん これはwktk
名無しさん GIですねわかります
名無しさん この男は誰なんだ?
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